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高神と来訪神

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 霊魂や他界を考えるうえで、中沢新一の『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』は大きな示唆を与えてくれるようにみえる。そこで提示されたモデルはあまりに鮮やかで戸惑うほどなのだが、原理的な考察であり、琉球弧を典型として取り出しているので、接近しやすい。

 ここでは、神の類型として、高神型と来訪神型が提示されている。

 一つは「高神 High God」型と呼ばれるものです。この神は「いと高き所」にいる神と考えられています。また階層構造をもった「天」の考え方と結びつくことも多いために「天空神」と呼ばれることもあります。この神について思考するときには。垂直軸が頭に浮かんできます。高神自身が高い「いと高き所」をめざし、そこから降りて来てくれることが求められます。すると、このタイプの神は、山の上や立派な樹木の梢に降下してくれると、考えられているのです。
 もう一つのタイプは「来訪神」型とでも呼ぶことができるでしょう。「高神」型の神について思考するときには垂直軸のイメージが必要でしたが、「来訪神」型の神の場合には、海の彼方や地下界にある死者の世界から生者の住む世界を訪れてくるために、水平軸のイメージが必要になります。このタイプの神は、降臨してくるのではなく、遠い旅をしてやってくるという形を取ることが多く、出現の場所も洞窟や森の奥といったほの暗いところに設定されています。

 ぼくたちはここですぐに、高神から御嶽を、来訪神からはアカマタ・クロマタ、パーントゥなどを連想することができる。中沢が高神を説明するのに『南西諸島の神観念』の文章を引用するのだが、そこで引きだされているスドゥガミという神女の言葉も、ヨーゼフ・クライナーの整理もとても本質的だと思える。

 要約すると、加計呂麻島や与路島のイベは、村の真ん中のミャーにある小高い所で、木が植えてあるか石がおいてあり、そこに神は一年中滞在しているのである。そしてシマ守りの神、シマナオスの神といって、たいていノロかグジが拝んでいる。神が常にここに滞在しているという点は、須子茂部落などの場合は非常にはっきりしている。ここではどんな行事をやる時でも、例えばネリヤの神を迎える時でも、シマ守りの神のまわりに縄をはって、先ずここを拝んでから次に他の神を拝む。武名部落のスドゥガミは、もしも神がこの世から一分でも去れば、この村の生活はとまる、何もできなくなって、例えばこうしてあなたと話すこともできなくなる、と説明してくれた。
 つまりここではあの世とこの世の区別というものはない。世は一つ、この村だけであり、これと異なる他界のことは全然考える必要がない。神は常にここにいて下さるのであって、神のいないこの世というものは存在しないのであるから、もはや来訪という考え方はないのである。

 中沢が高神と類型化した神は、常に滞在していることから、常在神と呼ばれることもあるものだ。スドゥガミという神女は、この神がいなくなれば、「生活はとまる、何もできなくなって、例えばこうしてあなたと話すこともできなくなる」というように、常在神あるいは高神は、言葉を介した秩序を支える役割を果たしていることが伺える。

 もうひとつ重要だと思えるのは、高神においては、「あの世とこの世の区別というものはない」ということだ。この神は世界に内在して、言葉の世界を支えているきわめて抽象化された存在のように見える。

 これに対して来訪神の性格は鋭く対照的だ。来訪神は植物の化身のようであったり汚れていたり、そのイメージは豊富である。また、秩序を守るよりは一時的に混沌とした状態を生みだし、共同体を活性化させているように見えることで、高神が均質的な維持を務めるのとは対極的である。そして、高神において「あの世とこの世の区別」は無かったのに対して、来訪神においてはこの世とあの世の区別が重要である。

 要するに来訪神の考え方の基礎は、あの世とこの世の厳然たる区別であり、神は時を決めてあの世からこの世を訪問する。これにいわゆる再生の思想が結びついているのであって、神が現れるたびにこの世は再生し、その起源に経ち返って新しくやり直すのである(『南西諸島の神観念』)。

 この著しいコントラストを見せる高神と来訪神について、中沢は対照表にしている。

 高神型(いと高き、天空/垂直軸の思考/高所からの降下/観念の単純さ、表象性なし/純粋な光)
 来訪神型(海上他界、地下冥界/水平軸の思考/遠方からの来訪/豊かな表象性/物質性)

 琉球弧を典型として挙げているだけに、この整理は頷きやすいものだ。注意したいのは、これは本質的に言えることであり、さまざまな事例では混交して現れたりすることがあるということだ。実際に、この対照では、他界は海上や地下としているが、高神のいる場を天上他界として表象する事例もあるからだ。しかしもう少し考えると、ここで言われる「この世」と「あの世」とは、現世の漠然として投影として思い浮かべられている後生(グショウ)を指さないのかもしれない。ここで考えられているのは、「この世」の投影に過ぎない、単純である意味では貧相なイメージの「後生」ではなくて、「この世」と著しく隔たった世界をさしていると思える。たとえばそれはこんな風に捉えられている。

 スピリットの世界には高次の対称性が実現されていました。「対称性が高い」と言うのは、エネルギーの流動体であるスピリット世界の内部で、スピリットもグレートスピリットも自由な彷徨に運動することができ、自在なメタモルフォーシス(変容、変態)がおこっていくために、固定することができないという状態を示しています。じっさい、多種多様なスピリットたちは、変容を得意とするために、その世界では位置や性質がどんどん入れ替わっていく現象がおこっています。

 「位置や性質がどんどん入れ替わっていく」というのは、蛇の姿であったものが人間になったり、石になったりと自在に変幻する状態を指している。この「この世」とは時間も空間の成り立ちも全く異なる世界を指して、「あの世」と呼んでいると思えるのだ。

 ところで、『南西諸島の神観念』においてヨーゼフ・クライナーが滞在神(高神)と来訪神について、両者の関係や重要性などに「今のところ何も言うことはできない」としているのに対して、中沢が一歩、考察を進めていると思えるのは、高次の対称性が崩れた時に、高神と来訪神は同時に発生したとしている点だ。

 高次の対称性が崩れると、非対称性の原理を示す高神と低次になりながら対称性の原理を保つ来訪神が現れる。そしてそこには「残余のスピリット」も現れる。「残余のスピリット」とは、キジムナーやケンムンなどのムヌ(精霊、妖怪)を指していると考えれば、これも理解しやすい。こうして、高神と来訪神、残余のスピリットからなる多神教の宇宙が出現したというわけだ。

 このような多神教的な神々の宇宙の基本構造を、日本の南西諸島(奄美や沖縄にある島々のこと)ほどくっきり鮮やかに示している地帯も少ないのではないでしょうか。そこでは高神もいれば来訪神も出現するし、樹木に住む小さなスピリットたちもいればといった具合で、スピリット世界が「対称性の自発的破れ」をおこしてそこから多神教宇宙があらわれでてきたのが、まるでつい昨日のことであったかのような、ういういしい様子で、今も私たちを迎えてくれるのです(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』)。

 中沢の仮説が魅力的だと思えるのは、起源の姿を設定したうえで多神教宇宙の発生が考えられているからだ。ここでぼくたちは高神と来訪神というモデルを手にするのだが、もうひとつ、他界の発生以前にも手を届かせられる場所に来ているのかもしれない。中沢の言う高次の対称性の世界は、生と死がつらなり、連続している世界だ。その世界のなかにあったということが、無他界、他界を発生させる以前の世界だったのではないだろうか。言い換えれば、高次の対称性の世界を見ることができなくなった、その事を人間は他界として思考したのではないだろうか。ここまで来ると、来訪神が、つながりを無くしてしまってこの世とあの世をつなぎ直すために来訪するのであるという性格がよく理解できるとともに、来訪神とは人間が他界という観念を発生させた衝撃が生み出したという理解に導かれる。




アボリジニの三つの霊

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 ここで他界の発生する前の姿に接近するために、オーストラリアの先住民、アボリジニから得られた死における霊魂の運動を見てみたい。狩猟採集を続けた彼らの死生観には起源の像が宿されていると思えるからだ。

 『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』によれば、人間が死ぬと、その瞬間に身体を構成している霊が三分割される。

 そのひとつを著者は「トーテム霊」と呼んでいる。

 身体を支える生命の源にまつわる霊。この「生命の源」は、生命と動植物種の霊の生まれ故郷ともいうべき「地上の場」であり、人の血統と密接な関係にあって、一生を通じて滋養を吸い上げてきた源である。人が死ぬと、かつてはその精神と肉体とに宿っていたトーテム霊は、儀礼を通じて、動植物をはじめ、岩、水、陽射し、火、木々そして風といった生命維持には不可欠の自然霊へと立ち返る(p.462『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』)。

 この「源」の場所は、中沢新一の言う高次の対称性の世界のことだと思える。アボリジニにとってもこの場の存在は互いに入れ代わることができた。「植物が動物に変身することもできたし、動物が人間の男女に変身することもできた。先祖とは、人間であると同時に動物でもありえたのである」と思考されているのだ。森羅万象が精霊として次々に姿を変えていく対称性の世界のなかに帰還していくこと。これが死の元型的な姿だったのではないだろうか。多神教宇宙が発生すると、この高次の対称性の世界を自由には見れなくなってしまう。この見えなくなった世界が他界なのではないだろうか。

 二つめの霊を著者は「先祖霊」としているが、それは天空こある「死者の国」である。そこは高次の対称性の世界であった「ドリームタイム時代の先祖」が「支配する領野」で、「夜空の特定の位置に輝く星座」にある。先祖霊はそこへ赴く。死の直後、腹部には死者の属する氏族のトーテム・デザインが描かれるが、それが天空の「死者の国」への導き手になる。

 腹部に描かれるトーテム・デザインは、琉球弧において、アマムを入墨するときに「先祖に自分が子孫だとわかってもらうため」と考えたのと同じ思考を思わせるが、この先祖霊を迎えるのはいと高きところにいる高神だと見なすことができる。アボリジニでは天空に死者の国としての他界が考えられているが、「来世の生活ってのはどのみち、現世における狩猟採集生活そのものなんだよ。ただ、天空には、獲物はもっとたくさんいるんだがね(p.470)」というように、現世を投影された後生(グショウ)のことだ。

 ここで「ドリームタイム時代の先祖」と呼ばれる高神が登場するようにアボリジニの死生観でも既に高次の対称性の世界は失われている。ただ、失われているといっても「トーテム霊」に見られるようにまだそこへの通路は保たれているように見えるが、それでも起源の時のように自由な行き来はできなくなった。そのことが現世の延長としての他界(後生)という観念を発生させた理由なのかもしれない。

 三つめを著者は「自我霊」と名づけている。自我霊は、「場所との因縁が強く、妻、夫、親類縁者とはもちろん、道具や衣服といった物品との結びつきも強い。それは、人間を、有限な特定な対象と結びつけると同時に、個々人同士の関係や個々人が担うべき責任や喜びに結びつける霊力である」。自我霊は「死にさいしては、扱いが厄介でひどく危険な霊となるが、それは自我霊が、死に対して敵愾心を剥き出しにするからだ。なぜかといえば、死という変化によって、それまで生きてきた物質ないしは局所的な世界との接触が断たれてしまうからだる」。

 自我霊の性格はきわめて人間的だ。死は残された共同体メンバーにとっては対幻想に生じた欠損に他ならないだからだ。この危険性を回避するために残されたメンバーは儀礼や呪術行為を行うが、最終的には死者の記憶が薄れるという時間に委ねるしかない。この過程は、死者とともにあった対幻想が共同幻想に侵蝕される時間に他ならず、それは自我霊が先祖霊へと回収されるものとして意識されるはずである。

 このことから考えられるのは、自我霊と先祖霊という観念は、自己幻想(対幻想)と共同幻想の分化に対応している。だが、明確な分離は行われていない。だから、最終的には死によって共同幻想に回収されるほかなかったのだ。

 このトーテム霊、先祖霊、自我霊の三区分は、著者によれば、「まだ生まれていない者」、「生者/死にかけている者」、「死者」というアボリジニの世界区分に対応していると言う。この区分でいえば、起源の像はトーテム霊にあり、自己幻想と対幻想の分化によって、先祖霊と自我霊という観念が発生したのではないだろうか。こう考えると、南太平洋の事例においてもしばしば人間は複数の霊魂を持つとされる理由も理解できる気がする。それは必ずしもトーテム霊、先祖霊、自我霊と呼ばれる形態を取らないが、人間が動植物と同等の存在であると感じながら、それでも違いを意識し、違いを意識すると同時に、人間の系列を意識する思考の流れに対応していると思える。

 ところで、ここで紹介されているアボリジニには再生の観念はない。彼らによると、「生まれ変わり」とは、「「個人」という幻想に取りつかれていると、自我が死後も生き続け、来世でも変わらず存続するという発想にゆきつく」ことから生まれている。ぼくたちはここで書かれる「個人」を近代的なそれではなく、もっと柔らかい輪郭のあいまいなものとして受け取る必要があると思うが、しかし、彼らもまた「死者の国」での後生(グショウ)を考えているのだから、一見するとこれは矛盾した言葉に見える。彼らが自我霊や先祖霊を考えながら、それでも再生の思考を持たないとすれば、それはトーテム霊の存在感が強く、先祖霊の思考が伸びてゆくのを抑制しているからなのかもしれない。再生信仰においては、ひと時か来世での生涯を終えると、再び生まれ変わると考えられているからだ。


来訪論 承前

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 ぼくたちが来訪神と呼んでいるものに、概念としての言葉を与えたのは折口信夫だった。折口はそれを「まれびと」と呼んだ。「まれびと」とは何か。

てっとりばやく、私の考へるまれびとの原(もと)の姿を言へば、神であつた。第一義に於ては古代の村々に、海のあなたから時あつて來り臨んで、其村人どもの生活を幸福にして還(かえ)る靈物を意味して居た(p.5 『古代研究〈3〉国文学の発生』

 「まれびと」は、はるかに遠い所から時を定めてやってくる「神」だった。それは「神」としての「霊物」である。

 まれと言ふ語の溯(さかのぼ)れる限りの古い意義に於て、最少の度数の出現又は訪問を示すものであつた事は言はれる。ひとという語も、人間の意味に固定する前は、神および繼承者の義があったらしい。その側から見れば、まれひとは来訪する神ということになる。ひとについてもう一段推測しやすい考へは、人にして神なるものを表すことがあつたとするのである。人の扮した神なるがゆえにひとと称したとするのである。(p.5 『古代研究〈3〉国文学の発生』

 「まれびと」の「ひと」は、「神およびその継承者」の意味があった。「まれびと」とは来訪する神である。そして、人にして神なるもの」を表すことがあった。「人の扮した神」だから、「ひと」と呼んだのである。

 折口信夫は、琉球弧を旅するなかで、「まれびと」、来訪神のイメージを具体化していった。それでは、来訪神の祭儀はどのように行われているのか。新城島の祭儀過程を見てみよう。

 祭儀は、八月五日夜の司たちの女神役がビタケ御嶽(わー)の拝所でおこもりをするときから始まる。六日はオンプールーとよばれ、一年の豊作感謝をことほぐ日であって、夜には御嶽の境内でしし舞いが行われる。これがおわると、部落の家々は全戸が雨戸を厳重に閉ざして忌みごもりに入る。家の外に出ることも、部落内の道を往来することも、すべてがアカマタ・クロマタ祭儀団体(=男子結社)の厳格な統制のともにおかれる。というのは、この晩にビタケ御嶽の内部にあるナビンドーとよばれる霊地でアカマタ・クロマタが誕生するからである。したがって、団体の成員である男子は全員が御嶽の境内に参集し、一晩中寝ないでアカマタ・クロマタの生誕の秘事を護るのである。境内の周辺は若者たちによって厳重に警戒線がしかれ、何人もこれを突破して秘事を窺いみることができなくされている。境内の一隅に草を編んでつくられた小屋があり、男たちはここで寝泊まりする。御嶽のなかからは一晩中ゆるやかな調子で太古の音がきこえ、忌みこもっている村人たちに今宵こそはアカマタ・クロマタの産れる日であうろことを告知するかのようである。
 七日はムラプールーとよばれ、きたるべき年の予祝をする日にあたる。村人たちは一年に一度だけ出現するアカマタ・クロマタを迎えるための準備をする。女神役たちはパナグミと呼ばれる海の幸・山の幸を盛った献立をつくるのに忙しく、男の一部はアカマタ・クロマタの伴をするシンカとよばれる一団の先頭に立てるノボリを作る。これには太陽と月を染め抜いた旗がとりつけられている。午後四時頃になると、村人一同老いも若きも、子どもたちすべてが御嶽の境内にあるナハおがんに集まってくる。おがんのなかでは女神役すべてがパナグミをもって集まり、神宴をくりひろげる。やがて夕刻太陽が沈みはじめる頃にアカマタ・クオマタの子供が出現する。全身葡萄の葉で覆われ、両手に細い鞭をもっている。これに触れると一年以内に必ず死亡するというので、アカマタ・クロマタがあばれだすと、群集は必死に逃げまどうのである。親のカマタ・クロマタは夕刻も遅くなってから出現し、四神を中心にシンカが囲集し、さらに一般民衆も加わって豊祝の踊りを行なって御嶽における予祝祭を終える。夜はアカマタ・クロマタが一晩中部落内の各戸を、まず、トゥネムトの家から司→カマンガ→バクスの家へと来訪し、さらに祭儀団体における先輩・後輩の世代序列にしたがってつぎつぎと訪れていく。やがて一番鶏がトキを告げると、部落はずれの霊地ナビンドーへ通じる神道に村人一同が参集し、わらでたき火をして神送りの行事を行う。このときにはカマタ・クロマタが闇のなかから幾度となく姿を現わして別れの耐え難さを村人に告げ、村人もまた別れの歌を切なく、声をかぎりに歌いつづける。老人たちが万感胸に迫って思わず落涙するのも、このときである。この七日から八日朝にかけての行事はきわめてドラマチックで演出効果もすばらしく、そこには長年月にわたる文化的な発展の行程が深い影を落としているといえよう。(『南西諸島の神観念』

 引用が長くなったが、琉球弧の島人でも来訪神を目の当たりにできる人は限られているから、できるだけ疑似体験に近づけてみたかった。

 さらに細部のイメージを豊富にしていこう。まず、アカマタ・クロマタは、村落の祭儀団体によって運営されている。入団資格は、十四、五歳に達した男子であること、両親が村落員であり当人も村落に居住していることである。入団に際して、あるいは祭儀への参加の資格を得るためには、品行が問われ、肉体的な試練という通過儀礼(イニシエーション)を経なければならない。西表島古見の入団式では、祭祀の司祭者の家の庭で長時間正座をし、両手を大きく開かせたり合わせたりさせられる。姿勢が崩れると棒で殴られたり水を浴びせられたりする。そして好きな女性を告白させられる。団体員は、アカマタ・クロマタの秘密が伝授されるが、高位になるにつれ伝授されることも多くなり、長老を頂点とした階梯を踏んでいくことになる。

 男子の秘密結社のなかの、こうした通過儀礼(イニシエーション)は、さまざまな技術の伝授を伴ったもっと厳しくきめ細やかなものであったに違いない。たとえば、オーストラリアの先住民、アボリジニでは、睡眠や催眠中にも意識を覚醒させておくことをイニシエーションの始めに実践し、トランス状態を誘発する方法を伝授される。トランス状態になるために南米では厳格な管理のもとに幻覚性の植物が用いられたり、それが祭儀にも取り入れられたりしている。そして、成年のための通過儀礼(イニシエーション)には、少年の死と成年としての復活が儀礼のなかに含まれている。琉球弧の秘密結社においても、かつては死と復活を意味する象徴的な過程が含まれていたのではないだろうか。しかし同時に、人生の階梯で辿る通過儀礼(イニシエーション)のなかに含まれる臨死体験の要素は、琉球弧において希薄であるように感じられる。それは単に現在の通過儀礼(イニシエーション)のなかに痕跡を留めていないというだけではなく、神話の記述のなかにも霊魂(マブイ)の離脱による記述が見出せないことにも依っている。

 吉本隆明は『南島論』のなかで、山や火といった自然物や自然現象が神であり、死んだ人も神になる日本神話の記述についてこう書いている。

 この自然物や自然現象が神とおなじもの、あるいは神のこの世界における顕現とみなれる生と死の度合はなぜ可能であり、またこの神はこの世界に住む人間が死の境界をこえたあとでひとりでに移行できる存在でありうるのか。わたしには肉体を離れて自在に遊行したり、滲透したりできる視線=意識の遊行体験であり、これがあらゆる神話的体験の源初にあるもののようにおもえる。視線が意識と結合したまま肉体を離れられれば、人間は死んだあとも境界の向側へ視線=意識のかたまりとして自在に遊行することも、その世界に滞在することもできるはずだ。この視線=意識は、他の人間や動物や鳥や虫のなかに入ることもできるし、自然物や自然現象に入り込んで、それに意識を吹き入れることもできるはずだとおもえる。

 吉本は、アイヌのユーカラにこの例を求めるのだが、琉球弧ではマブイ(霊魂)が抜けやすく、またユタを通じて憑依の技術も伝承されているにも関わらず、臨死体験をもとにした記述や実践が希薄に思えるのだ。それは、アカマタ・クロマタにおいても、祭儀の全体は神女の祈願から始まるように、母系的な社会の構成に抑圧されてしまったのか、分からない。もしかしたら、臨死体験により自分が他界に接するよりも、来訪神を通じて、他界と現世との境界を現出させ、両者をつなぐことを意識化してきたのが琉球弧なのかもしれない。

『古代研究〈3〉国文学の発生』

『南西諸島の神観念』

ニーラ・カネーラ

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 前花哲雄の「定説に対する疑問」(『八重山文化論集』1976年)。

 八重山では、ニライ・カナイとは言わず、ニーラ・カネーラと言っていた。

 井戸祭りの願口。(前略)掘リ当テアレール、井戸(カア)ヌ神、水元ヌ神、ニーラスク、カネーラ底ガラ、噴キ出デアール、若水、汲(フ)ミ飲ミ給うラルバ、家人衆(ヤーインジュ)、足(タラ)人衆身肌(ドウハダ)健康アラシメ給リ、働キ勝イシミ、願イツクバ、神ヌ前、口合(フチアイ)アラシメ給リ。・・・オートウドゥ(p.45)。

 この願い口の中にある「ニーラ底、カネーラ底」は即ちニライ・カナイを意味する。八重山の井戸は普通二十数メートルを掘り抜き地下水を求めているので、地下の深いところをニーラスクといい、更に深い地点をカネーラ底と言っている。畑を耕すとき「ニーラ底から耕せ」と昔の人はよく言った。  「ニーラ底」には地下水があるだけでなく、其処には豊作の神々が居られるものと信じていた。この豊作の神を「ニーラピィトゥ」「ニーローピィトゥ」等を言っている。

 ここではニライ・カナイは地下の水と結びつけられている。農耕の段階での認識だと思うが、しかし豊穣なイメージで表象されているのが印象的だ。しかも、「地下の深いところをニーラスクといい、更に深い地点をカネーラ底」と、ニライとカナイは地下の階層として捉えられているのが面白い。「ニーラ底から耕せ」と、生活民の言葉はリアリティがある。

 前花の「定説に対する疑問」というのは、ニライ・カナイは海の彼方ではなく、地の底のことだと言いたいわけだ。これは元の意味として大事な指摘だと思える。考察を概念遊びにしないためにも、出身者の身体感覚に根づいた言葉は重要だ。

 「トウドゥ」と濁音化するのも発見だった。

新城島の来訪神儀礼

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 「来訪神儀礼の成立をめぐる考察-沖縄・新城島の場合-」(植松明石『民俗文化研究』2000年)。

 18世紀の「八重山諸記帳」には、「猛貌の御神」は、「草木に葉をまとい頭に稲穂を頂き出現」と書かれているが、既に「島中奇妙」と題されて、不可思議に見えていたのが分かる。植松は、アカマタ・クロマタのマタ=ムタを「仮面」の意味で捉えている。この儀礼は、「人々の血がさわぐ、忘れられない待ち望む祭」。

 アカマタ・クロマタは別名ニールピトゥだが、この言葉は新城島では「口にすることも禁じられている」。ありがたい神であると同時に、「その怒りにふれれば死に至るとも信じられてきた」。

 6月の豊年祭。1日目は願解き。神迎えは、ツカサ、男性神役、村役、ヤマシンカらが行う。この夜、神役、ヤマシンカらがミラヤアに集まる。女性、未成年者、他所者は外出禁止。2日目、明け方に「アカマタ・クロマタ親子四神がニイレイスクという深い深い土の底からスデルとされる」。新しいヤマシンカ加入儀礼がある。

 粟のつくりはじめ(9、10月)から9ヶ月間。農耕生活、物忌期間。粟の収穫(5、6月)から年の始まりの「節」までの3ヶ月は、アソビ、解放。海が荒れ、悪い風が吹く2月は物忌みが厳しくなる。「時に音は風をよぶといわれ、太鼓、蛇皮線、口笛、高笑い、大声などすべて禁止であった」。

 フカサウズ(精進)。畑仕事は禁止され、聖杜で祈願してから、浜辺に行き一日中謹慎。浜辺で係りの者が全員に「サウズしよう」というと、みな一斉に砂浜に寝る。一定時間経って、係りの者が鶏の鳴き声をするのを合図にサウズが終了。

 美御嶽とミラヤア。美御嶽のイビは女性神役のみ出入り、男性立ち入りは禁止。ミラヤアは豊年祭の時のみ用いられ、ヤマシンカのみが出入りする女性禁止の場所。ミラヤア内の奥、イビ近く、神(ニイルピトゥ)の海からの上陸地点とされる。海岸地点からは離れている。この神迎えは、ヤマシンカが行う。神迎えの後、仮面は新しく塗られる。

 ヤマシンカの加入儀礼の最後の段階は、ミラヤアで行われる。「豊年祭2日目の最後のミラヤアでの審査は、少年らにとって強烈な経験となる」。「死んで生まれかわる成人儀礼に比するもの」。

 アカマタ・クロマタの「親子四神は足を左右に踏み出し、体をゆすり、地面を何度も強く踏み、両手に持つ棒を打ち合わせる。ブセイや旗持ち(パテーツク)や、多くのヤマシンカ達は何れも激しく地面を突き、踏む動作を繰り返す。」

 儀礼の進行には歌謡がともなう。歌謡なくしてこの来訪神儀礼は成立しない。「うたいかわすことの身体の共存感は実に力強い」。

 別れは集落の十字路。一番鶏の告げる明けの寅の刻の鳴き声に合わせ、最後の音とともに忽然とミラヤアに姿を消す。

 「新城の人は豊年祭のために生きている」。


メモ

 ニイルピトゥは海の彼方からやってきて上陸。しかし、土の底のニイレイスクから生まれる、というニライ・カナイ認識の二重性が見られる。新城島の場合、アカマタ・クロマタの出現は、ミラヤアからであり、ナビンドゥ(洞穴)ではない。


パーントゥと泥

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 「来訪する神の再解釈 : 沖縄県宮古島市島尻の仮面祭祀「パーントゥ」を事例として」(佐藤純子、『民族藝術』2013年)。

 佐藤は、来訪神とひとくくりに呼ばれることで、それぞれの個別性が見失われがちではないかと書いている。たとえば、

 アカマタ・クロマタ、マツンガナシは、「豊作をもたらす神」。
 アンガマは「祖先供養の神」。
 パーントゥは「厄払いの神」。

 とそれぞれに異なる。佐藤が特に強調しているのは、パントゥはンマリンガーという井戸から出現するが、ドゥル(泥)を塗ることが重要視されていることだ。八重山の来訪神は、すで水による死と再生で語られるが、パーントゥはンマリンガーの底の「泥」を塗る。「泥と水は代替可能なものではないことは明らかである」。

 「パーントゥ」は、地下(の世界)から出現し、その怪異な姿で子どもたちを怖がらせる一方、集落の厄を祓う祖霊としての要素も持ち合せている。その黒い特異な姿に加えて悪臭を放って走り回る姿は、例えばアンガマのように笑みをたたえた翁面を用いる事例とは明らかに違っており、「パーントゥ」は与那覇がいうように「鬼のような」「怪獣」のような存在といえる。こうした外観上や行動上の特徴は、「パーントゥ」の「厄を祓う=悪いものを追い払う」という性質を改めて裏付けるものともいえる。本稿でみてきたように、「パーントゥ」は少なくとも、「海のかなたからやって来る来訪神」というイメージでは希薄であるといわざるを得ない。

 たしかに、アカマタ・クロマタはすで水による再生という面を強く持っている。対して、パーントゥは、泥。他界を、精霊がさまざまに姿を変える世界と捉えると、来訪神は古形であるほど、動植物や大地の化身の様相を強く持つだろう。パーントゥは、植物や大地、腐敗のイメージを強く纏っている。アカマタ・クロマタは、他界の化身としては蛇トーテムの意味を持つので、水が重要視されている。ただ、どちらも地下に出所を持つ、地下他界の観念は共通している。

 ここでは、折口信夫が「訪客なる他界の生類との間に、非常な相違があり、その違い方が、既に人間的になっているか、それ以前の姿であるかを比べて考えると、どちらが古く、又どちらが前日本的、あるいは前古代的かと言うことの判断がつくことと思う」(「民族史観における他界観寝」)という指標が有効だと思う。少なくともすぐ言えるのは、「翁面」であるアンガマは段階としては新しいのだ。

 この論考では先島の「来訪する神々」、アカマタ・クロマタ、アンガマ、マユンガナシ、パーントゥについて、12の項目で比較されていて、分かりやすい。


 

萩原秀三郎の来訪神考

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 萩原秀三郎の来訪神考。

 南島の来訪神は古型。とすれば、草木を身にまとうのが原型。草荘神の草木は、草木そのものに霊性を認めている。大地に霊性があるのだ。その霊草はチガヤだ。

 日本の来訪神の古型が草荘神にあるとすれば、来訪神の原郷を海の彼方とするのは難しく、その出現を水平的に表象する信仰形態は二次的に派生したものということができよう。さらにこの季節の変わり目に出現する来訪者が、祖霊であり穀霊であるとすれば、その一次的原郷は地下である可能性が増々高まってくる(「来訪神-時間・空間の境より出現する神」『芸能』1990年)。

 マユンガナシには、祖霊と穀霊の要素がダブって見える。「手拭で頬かむりしてクバ笠をまぶかにかぶり、クバの蓑を前と後にまとい六尺棒を手にした神が、長々と祝詞を唱えて回る」。イヌの日にイヌ歳生まれ男性がマユンガナシに扮する。「イヌにまつわる伝承も、穀物将来譚にしばしば犬が主要な役割をになうように穀物の豊産に深くつながるイメージである」。マユンガナシが神から人に戻るのはクラヤシキだが、クラヤシキは「昔、村の非常用の米倉のあった屋敷跡である」。

 船競漕の習俗は、中国長江流域から東南アジアまで広がる。「海の彼方から遠来の神を水平的に迎えるマレビト信仰は、この船競漕と同じ文化領域の中にある」。「日本の弥生時代の開幕を告げる稲は、長江流域からもたらされたことはわかっている。ただ、長江のどのあたりが中心か、その稲作文化の担い手は、そして伝播のルートは、といったことが未だ確定していない」。

 ここまででいえば、「マユンガナシには、祖霊と穀霊」の要素が強いのは、蓑笠の姿や神を解く場所がクラヤシキであることから頷ける。萩原は苗族が元であることを言いたいように見える。

 2005年の「来訪神の座標軸」(『東アジア比較文化研究』)ではその主張はもっと進んだものになっている。粟作は、水稲耕作文化以前の古い栽培文化であるという主張が多いが、「粟作と結びついたマレビト祭祀を水稲耕作文化以前と截然とすることはむずかしい」。なぜなら、稲作の起源は長江流域で一万数千年前とする説が有力であり、黄河流域のアワを越えた古さだからだ。つまり、マレビト信仰の淵源は、稲作文化にあると言うわけだ。

 来訪神の本質は、稲が枯渇して死を迎える-つまり刈り入れの時に出現するところにある。稲に限らず「食料の貯蔵の更新を支配する儀礼によって」時間の区切り=正月は決定される(エリアーデ『永遠回帰の神話』。そうした意味での正月に出現してこその来訪神なのである。

 「来訪神儀礼は本来水稲耕作文化複合として出発したが、水稲の伝播が雑穀地域を経由した際に、来訪神儀礼が雑穀耕作文化と習合した、とわたしは考える」。

 萩原の議論は、稲作文化と来訪神儀礼の関わり、というより、稲作文化とつながりの強い来訪神儀礼の中身がよく分かるのだが、なぜ「水稲耕作文化」を淵源とすることに、強くこだわるのか、分かりにくかった。ともすると、かつてよく聞いた、稲作農耕こそは日本の起源とする議論のしんどさを思い出した。

 来訪神は、農の神と限定されるだろうか。たしかに、「時を定めて」ということに照準すれば、穀物栽培との結びつきは強い。しかし、漁撈であるシュクの寄りに来訪神が結びついてもおかしくないし、フサマラーは雨乞いの際の来訪神だ。パーントゥは厄払い、アンガマは祖先供養を旨として来訪する。農の神、しかも稲の神として限定する必要はないと思える。


穀母の殺害と男子結社

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 大気都姫が須佐男に殺害された後、大気都姫から穀物が生成される『古事記』の記述について。

 この説話では、共同幻想の表象である女性が<死ぬ>ことが、農耕社会の共同利害の表象である穀物の生成と結びつけられている。共同幻想の表象に転化した女〈性〉が、〈死ぬ〉という行為によって、変身して穀物になることが暗示されている。女性に表象される共同幻想の〈死〉と〈復活〉とが穀物の生成に関係づけられる。(p.143『共同幻想論』
かれらの共同幻想にとっては、一対の男女の〈性〉的な行為が〈子〉を生む結果をもたらすのが重要なのではない。女〈性〉だけが〈子〉を分娩するということが重要なのだ。だからこそ女〈性〉はかれらの共同幻想の象徴に変容し、女〈性〉の〈生む〉行為が、農耕社会の共同利害の象徴である穀物の生成と同一視されるのである。
 『古事記』の説話のなかで殺害される「大気都姫」も、「箒の祭」(穀母の正装をつけて女性が殺害される古代メキシコのトウモロコシ儀礼-引用者注)の行事で殺害される穀母もけっして対幻想の性的な象徴ではなく、共同幻想の表象である。これらの女性は共同幻想として対幻想に固有な〈性〉的な象徴を演じる矛盾をおかさなければならない。これはいわば、絶対的な矛盾だから、じぶんが殺害されることでしか演じられない役割である。じぶんが殺害されることで共同幻想の地上的な表象である穀物として再生するのである。

 農耕社会の発生期において、対幻想のなかに時間の生成するながれを意識したとき、その対幻想は「なによりも子を産む女性に所属した〈時間〉に根源を支えられていると知ったのである(p.194)」。「この時期には自然時間の観念を媒介にして、部族の共同幻想と〈対〉幻想とは同一視された」。ただ、農耕社会の発生期に母系的あるいは母系的な制度がつくられたかどうかとはかかわりない。

 それではこの時、女性を殺害するのは誰か。生む行為からは疎外された男性である。穀母として殺害される女性の神話に、男性を登場させているのは、マリンド・アニム族のマヨ祭儀では、穀母とされた女性が、殺害されるというだけではなく、強姦されたうえで殺害され、共食される。



パーントゥの変身

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 「来訪神祭祀の世界観-宮古島・島尻のパーントゥの事例から-」(本林靖久『宗教民俗研究』2001年)より。

 パーントゥへの変身。
 ・キャーン(シイノキカヅラ)をまきつける。
 ・つる草の小手には、ミーピ-ツナという縄を使う。スマッサリという悪魔祓いの行事で使われた縄。
 ・頭部に、マータ(先を結んだチガヤを射し込む)。魔除けの呪具。
 ・ンマリンガーの底のヘドロをつる草に塗りつける。
 ・仮面にも塗り、グシャン(杖)を持つ。グシャンはダンチクの茎。

 ンマリンガーで誕生し、海岸の闇に消え去る。

 仮面は、ウヤ(親)、ナカ(中)、ファ(子)の三つ。1966年の「宮古新報」では、百数十年前、赤、黒の二つの仮面が流れついた。老女の赤色面、老人の黒色面だったと記載されているが、他の報告、聞き取りからは確認されなかった。

 各ムトゥの参拝の時、古老の男性から酒を振る舞われる。祖霊としての性格を持っている。

 草装(蓑笠)をつける姿。「この世(現世)では死者の姿であり、あの世(他界)での姿であるということである」。

 メモ

 パーントゥは、祓いのために出現し、男神・女神と分かれておらず、農耕祭儀の意味は希薄。グシャン(杖)を持っており、精霊の化身という以外に、祖霊の要素も含まれている。

ハイヌウェレ神話とマヨ祭儀

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 ウェマーレ族(インドネシア、モルッカ諸島のセラム島)の神話。

 アメタ(黒い、暗い、夜などの意味)と呼ばれる男がいた。アメタは狩の最中にココ椰子の実を見つける。その夜、夢のなかで一人の男に、「ココ椰子の実を、地中に植えなさい。もう、芽が出かかっているから言われ、ココ椰子の実を植えると、三日後には高い樹に育ち、さらに三日後には花が咲いた。アメタは花から飲み物を作ろうとするが、手元を狂わせて指を怪我してしまい、傷から流れた血が花にかかった。

 それから三日後には、花と血が混じり合ったところから人間が生じかけていて、顔ができていた。その三日後には胴体が、さらに三日後には完全な女の子になっていた。その夜、再びが男が夢に現れて、女の子を家に連れて帰りなさいと言われる。アメタは、娘に「ココ椰子の実」という意味のハイヌウェレという名前をつける。ハイヌウェレは急速に成長し、三日後には大人になった。彼女は、陶器の皿や銅鑼などのような宝物を大便で排泄したので、アメタはたちまち裕福になった。

 そのうちに九夜続けるのが習わしのマロ踊りが開かれた。ハイヌウェレは毎夜、踊りのなかで、みんなに宝物を与え続けたが、夜ごとに宝物は高価になり、人々ははじめのうち喜んだもののやがて妬ましくなり、九夜目にハイヌウェレを殺してしまう。アメタはハイヌウェレが殺されたのを知り、埋められた彼女を掘り出し、死体を多くの断片に切り刻んで、その一つ一つを別々に広場のまわりに埋めた。すると、そこにさまざまな種類の芋が発生して、以後、人間は、これらの芋を主植物として生きることができるようになった。

 これが死体から植物が生えるという、いわゆるハイヌウェレ型の神話の中身だ(吉田敦彦『縄文土偶の神話学―殺害と再生のアーケオロジー』より)。

 この神話の異文のひとつは、ハイヌウェレが殺されたのを嘆いた両親は、死体を掘り出すと、家々をまわり、「お前たちは彼女を殺した。だからおまえたちは、これからは彼女を食べなければならない」と言って歩いたと物語られる。

 この異文は重要だと思える。というのも、この神話が祭儀のなかで反復される際に、彼女を食べるということも反復されるからだ。それがニューギニアのマリンド・アニム族のマヨ祭儀だ。

 マリンド・アニム族で成人を迎える若者は、満月の夜の明け方、ココ椰子の茂みに囲まれた空き地につれて行かれる。そこにはマヨ老女を表わす木像が建てられている。若者たちは、身に着けていたすべての衣服や飾りをはぎ取られ、結髪も解かれる。しばらくすると、バナナの葉の上に精液を混ぜた黒い泥で、自分の歯を黒く塗る。その後で、びんろう樹の根とマングローブの樹皮を、最初の食べ物として与えられる。食事が終わると、川で沐浴させられたあとで、身体を粘土で白く塗られた。そして戻ると、若いココ椰子の葉を与えられ、独特の衣裳を作り、頭と足先だけ残して、身体中をすっぽりと覆った。

 彼らは生まれたばかりであるとみなされ、植物、衣服、飾り、結髪、魚、狩り、性行為などについても何も知らない状態にあるとされ、神話のなかでその由来を知らされる。大人たちは祖先に扮し、神話の事件を演じて見せ、それを伝える。

 五ヶ月をかけて順次、必要な習俗と食物について教育され、その過程で衣裳や飾り、髪形なども、少しずつ、元の人間の姿に戻っていく。そして最後に、マヨ娘と呼ばれる生け贄の女性たちを、祭儀に参加した男達全員が集団で強姦し、殺し、その上、食べる。その骨は、新しく植えられたばかりのココ椰子の側に埋められ、血で椰子の幹が赤く塗られた。

 衝撃を受けずに読み進むことができない内容だが、殺された女性がココ椰子の側に埋められるのは、ハイヌウェレ型の神話として、植物の増殖を託すものであることが分かる。しかし、ハイヌウェレ型の神話というのは、これだけでは実は半分だったのではないだろうか。女は殺害されることで、共同幻想の表象である植物に再生すると捉えてきたが、ここには殺害するのは誰か、という側面が抜けている。殺害するのは男である。男にしても、強姦しているのは対幻想の対象としての女性ではなく、共同幻想化された女性である。共同幻想として表象されたした女性を強姦し殺害することによって、本来は対幻想の対象である女性を共同幻想化させたのである。

 岡正雄によれば、この祭儀を行う秘密結社は「女性も参加させた。しかし、それはただ性的秘儀のためである」(『異人その他―他十二篇』)としている。「マリンド族のうちでもマヨ結社以外の結社では、女とこどもは絶対に参加させられなかった」。本質的には、男子の秘密結社であるということだ。

 男女二神として現れる来訪神を組織しているのは、男子結社だった。そして、このマヨ祭儀からは、男女二神として現れる前の段階で、穀母が殺害されて共同幻想化する段階でも中心的な役割を果たしているが男子結社だと受け取ることができる。それなら、琉球弧の男子結社も、男女二神として現れる来訪神祭儀の前に遡る射程を持っているということだ。

 また、この祭儀の過程で、大人たちは仮面仮装の姿で祖先に扮している。これは、農耕祭儀のなかで男女二神として現れる来訪神の元の姿なのかもしれない。秘密結社の通過儀礼のなかで他界を現前させるために現れた神は、農耕祭儀のなかで来訪神化したのではないだろうか。

 もうひとつ、マヨ祭儀では、「精液を混ぜた黒い泥で、自分の歯を黒く塗る」とされたが、祭儀の各段階で初めて食べることにされる植物にはことごとく精液が混ぜられている。ハイヌウェレ型神話の源流とされるメラネシアにおいては、男根と精液に対する強い信仰が見られるという。たとえば、パプア台地東南部のサンビア族のある儀礼では、男子結社の入社式や年齢階梯ごとの儀礼のなかで、「口唇性交により大人の精液を飲むことを教えられ」る。結婚後も、女性が儀礼を経て性交が許されるまで続けられる。

なぜならそれによって妻の成長が促進され、妻の肉体が受胎可能となると信じられているからで、サムビア族の信仰によれば、妻から出る母乳もこのようにして彼女が夫から受けた精液の変化したものにほかならない。また胎児の骨、皮膚、筋肉、内臓などもすべて精液によって形成され成長するもので、夫はそのために妻が妊娠したあとも、怠らず性交に励み、胎児のために精液をたえず母体の内に供給しつづけねばならぬと信じられている(p.81『縄文土偶の神話学―殺害と再生のアーケオロジー』

 ここでの精液は、対幻想のなかのそれではなく、もはやそれが植物や人間を成長させる共同幻想と化している。「かれらの共同幻想にとっては、一対の男女の〈性〉的な行為が〈子〉を生む結果をもたらすのが重要なのではない。女〈性〉だけが〈子〉を分娩するということが重要なのだ」と吉本隆明は書いたが、同じように言えば、この共同幻想のなかでは、男性の精液だけが妻や子を成長させると信じられていたということである。そうであれば、マヨ祭儀において集団強姦するのも、できるだけ多くの精液によって共同幻想の象徴である食物として再生させる意味を持つものだったと言える。この段階での男子結社とは、精液を生命の源泉として共同幻想化したものだと言える。

 すると、琉球弧の来訪神儀礼のひとつボジェの持つボジェマラの由来は、この男女二神の来訪神儀礼の前の段階で、穀母が殺害される共同幻想の段階にあると考えることができる。

 また、ぼくたちは以前、マリンド・アニム族には明確な転生信仰を見出せなかったが、霊魂は幽霊として、昼は鳥(鶴)や鴉の姿を取るという。しかし、マヨ祭儀にも示されるのは植物への化身が考えられていると見なせる。この信仰は、母系社会が進んだ段階では、再生信仰へと転化されるはずだ。


『加入礼・儀式・秘密結社: 神秘の誕生』のメモ

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 男性の秘密結社は歴史的などの段階に置くことができるか。

 男たちの秘密結社、つまり仮面結社は、「母権的な循環期」に創出されたものだとする考えがある。つまり、仮面の男たちは悪霊である祖霊たちなのだと信じ込ませることによって女たちを威嚇することにあった。母権制によって確立した女たちの経済的-宗教的優越を動揺させることを目的としたものだ、と。

 たしかに仮面結社が、その種の役割を演じた可能性はきわめて高い。しかし、成人式と男たちの秘密結社への入会に際して行われる加入礼的な諸試練の間には、「完全な連続性が存在しているという事実が確認されるのである」。たとえば、オセアニアの若者の加入礼と秘密結社の加入礼は、海の怪物に呑み込まれる象徴的な史の後に再生復活するという同じ型の儀礼を内包している(M・エリアーデ『加入礼・儀式・秘密結社: 神秘の誕生──加入礼の型についての試論』)。

 つまり、エリアーデによれば、秘密結社のイニシエーションは、成人式のそれから派生しているのであり、母権制を母体に発生しているわけではない、ということだ。では、秘密結社に固有の契機はなにか。

 それは、「聖なるものにより従前な形で参入したいという欲求の存在」、強烈に固有の聖性を体験したいという欲望である。

 秘密の仮面結社の固有性もある。

 ・秘密ということの果たす中核的な役割
 ・加入礼的試練の残酷さ
 ・仮面によって人格(ペルソナ)化される「祖霊たち」の祭祀の優勢
 ・高神の不在

 ここでは、エリアーデが「至高の存在」と書いているのを、高神とみなして、こう書くのだが、彼は高神ありきで考えているのか、秘密結社においては、高神の重要性が失われていくのが一般的だと書いている。これは、来訪神が重要な役割を果たしていると見ることができるだろう。

 ニューギニア島、アメリカ、アフリカの加入礼は祭司たちまたは仮面をつけた者たちによって主宰される。多くの場合、それは「先祖たち」を演じる仮面をつけた者たちによって取り仕切られる。成人式の加入礼は、次第に呪医たちや仮面結社の秘儀伝承を部族の文脈上で表現するものへと発展していく。それは修練者を部族の神話的物語へ導入することに等しい。もうひとつは、血と性が聖なるものであるという啓示を受ける。

 女性にたいする成人式の加入礼は、存在が確認できるが、男性のそれほど広く認められない。男性のそれが集団的であるのに対して、女性は初潮という個別的なものである場合が多い。

 女性は共同幻想を対幻想の対象とすることができるが男性はできない。秘密結社の試練を見ていくと、男性が共同幻想を知り、イニシエーションを重ねていく過程は、自己幻想を共同幻想に同一化する過程に見える。

 メキシコのウィチョル族の「経験豊かな物知り」に言わせれば、「男たちはかわいそうに、あんなにでもしなければ、知恵に近づくことはできないんだよ。ところが女は自然のままにそれを知っているのさ」(p.143『対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5』、というこだ。



イェンゼンの「殺された女神」

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 アードルフ・E・イェンゼンの『殺された女神』から。

 蛇は長い放浪の末にヤウィを出産。美少年であるヤウィをデマ・アラメンブは誘拐する。ヤウィはアラメンブの妻を誘惑したので、アラメンブはヤウィの殺害を決める。殺害の儀式は、呪術に長けた人々によって大げさに実行された。しかし自分の決定に後悔したアラメンブは蘇生させようとするが、間に合わず、アラメンブは生命の薬を蛇に与えた。そこで人間は死に、蛇は不死になった。殺されたヤウィの頭からココヤシが発生した。

 別の神話。女が息子とともに祭場から逃げ出し、冒険に充ちた放浪の末に、ある村に辿りつくが、そこで男達や若者たちに強姦され、殺害され食べられてしまった。「われわれはこの種の宴会を毎年繰り返すことにしよう」と男達が言った。この女が「マヨの母」である。

 別の神話。マリンド族では、最初は女が首狩りを行っていた。男性の装飾品をつけ、男性の武器で武装し、狩りから帰る途中の男達に襲いかかり、殺害した。怒ったデマ・ゲフは彼女らのほとんどを殺した。殺害が男性の職責なのはここからだと考えられる。

 結婚式習俗においても、花嫁は結婚式の前に村外の藪のなかに連れて行かれ、そこで男達と若者によって侵される。これも神話素から導かれている。

 最初の死は、通常の死ではなく、「許し難い性交」を発端にした殺害だった。そこから有用植物と人間の食べ物が発生した。

 これらをつなぐと、マヨ祭儀のアウトラインも浮かび上がってくるのは分かる。

 古栽民のあだいにはこのように、世界と人間は原古に神話の中の事件が起こることによって、現在ある通りのものに成ったので、世界の秩序が現状の通りに保たれ、各世代のまだ人間になりきっていない子どもたちが人間にされるためには、その神話の事件がたえずその通りにくり返されねばならぬという、牢乎とした信仰があった。そしてこの信仰に基づいて彼らは、子どもから大人に成ろうとする若者たちに入社式の中で神話の事件を、能う限り生々しいしかたで体験することを求めたので、その入社式のなかではとうぜん、神話の事件のもっともも中心的な出来事であった作物の母体となった存在の殺害が、能う会議生々しくくりかえさねばならなかった。そして殺した犠牲者を、畑などにそのは撒いたり埋めるより前にしばしば食べもすることによって、彼らは、自分たちが日々口にしそれによって生命を養われている作物が、実は原古にその発生のため犠牲になった存在の血と肉にほかならぬことを、そのつど生々しく表明しながら銘記することを続けてきたと思われるわけである(p.63『縄文土偶の神話学―殺害と再生のアーケオロジー』)

 しかし、この説明でも、殺害の理由は分かるが、なぜ食べなければいけないのかは尽くされないと思う。殺害した女性を食べることが、「実は原古にその発生のため犠牲になった存在の血と肉にほかならぬことを、そのつど生々しく表明しながら銘記することを続けてきたと思われる」のは聖性を高めることにはなっても、これではある意味で苦行としてやっているようにも見える。

 まず、イェンゼンも「人身御供に関しては、そもそも動物供犠と区別されない」と書くように、人食は、この段階では、人間と植物と動物との区別があまりついていないことは言える。すると、栽培を覚えた植物を食べるように、殺害した女性を食べるのだということは言えそうだ。まだ言えるとしたら、穀母との同一化、共同幻想との一体化だろうか。

 イェンゼンもエリアーデと同様、この習俗を母権制と結びつけていない。「ここで観察に上る諸民族のほんの一部が母系出自を有するに過ぎない」としている。

 殺害に関して、イェンゼンは、これが「戦闘的男性的精神から生れた英雄的行為ではない」として、「殺害がこの世界像の中でかくも顕著に前面に現われたことを私は断々乎として食物[栽培]への従事に帰したい」と書いている。栽培する植物の増殖を促す行為なのだ。

 この段階では、女性が子を生むことが重視された。それが栽培植物の生成と同一視された。そこで、女性は共同幻想に変身するために殺害されなければならない。ハイヌウェレ型の神話では、しばしば男性からも植物が生える異文を持っている。キワイ族では最初の有用植物は男性の精液から発生している。しかし、最終的には女性が産むことが重視された。そして男性は、殺害による増殖行為に関わった。

 ハイヌウェレ型神話のなかで、有用なものを女性は排泄物として出す。それは、栽培した植物が実りをもたらすことに対して、人間を擬植物化している。神話のなかではそれを成り立つ。しかし、現実世界の女性は排泄物として有用なものを出すわけではない。そこで、殺害され、植物として再生するという過程を踏む。栽培する植物の増殖力は狩猟採集の段階からみれば驚くべきものだった。そこで、増殖を祈願するには、あるいは増殖と歩調を合わせるには、殺害は繰り返されなければならなかった。

 ここで神話のなかに生きることは完結される。だから、ここまできても、殺害した女性を食べる行為が必然化されるように思えない。それは必然ではないのかもしれない。ただ、この穀母という共同幻想との一体化を目指した行為は、それとは別に、死んだ人間を自分のなかで再生させるという別の信仰への契機になったものかもしれない。



「人身御供の資料としての『おなり女』伝説」

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 恐ろしいものを読んでしまった。

 中山太郎は、「人身御供の資料としての「おなり女」伝説」(『生贄と人柱の民俗学』所収)のなかで、田の神への女性の人身御供を取り扱っている。これは1925(大正14)年に書かれたもので、すでに穀母としての女性の殺害と植物としての再生を知っているぼくたちには、理解できる内容だが、琉球弧の視点から見る時、人身御供としての女性の名を「おなり女」としていることが注目される。

 中山はどこからこの言葉を持ってきたのか。

 オナリの土俗もかかる時代に犠牲-すなわり人身御供の一として、我らの遠い祖先なる古代の農民に工夫された祭儀なのである。オナリの語は世人の多くに忘られてしまったが、それでもまだ一部の間には活きている。伊賀国名賀郡地方では今に水仕女をこの語で呼んでいる。琉球ではオナリの語は姉妹の意に用いられている。内地の神名や地名にあるボナリ(母成の字を当つ)、ウナリ(宇成は於成の字を当つ)等もおそらくこのオナリの転訛である。(引用者が現代語かなづかいに変更した箇所あり)

 と、琉球は一例として挙げられているが、根拠の筆頭ではないらしい。

 オナリはヒルマモチとも言った。昼間持の意で、田植えの折りに働く早乙女その他の者の昼飯を持ち運ぶ役に当る女性だる。このヒルマモチが田の神の犠牲に供えられるのである、としている。

 ということは、内地においては、田植えに昼飯を届ける役の女性をオナリ女と呼んでいたということか。

 もともとこの論考は、柳田國男が「郷土誌論」において、「オナリ女が田植えの日に死んだというのは、オナリ女の死ぬことが儀式の完成のために必要であったことを意味する」という個所を発端に書いたもののように見える。

 琉球の話題も出てくる。

琉球の大祭はシヌグというがこれは全く農業祭である。この祭儀には東の方から男が、西の方から女が出て田遊びの神事を行うが、この折には正視しえられるほどのきはどい事をする。これらの土俗は改めて説明するまでもなく、農業と生殖との信仰を表現したものである。

 シヌグのことは、伊波普猷談と書いている。このシヌグの模様は、男女の対幻想そのものを農耕祭儀化したものだから、穀母の殺害のあとにくるものだ。

 この穀母の殺害には男子の秘密結社が関わって、仮面仮装の「祖先」が神話を演じられていたが、ぼくたちはこれを、琉球弧の来訪神祭儀の前に当るものではないかと考えてきた。この段階は、母系社会であったかどかとは関わらずに成立するので、ということはオナリ神信仰の前を示すことになる。

 琉球弧では、殺害された女性、おなり神は母系社会の進展とともに、霊的優位の言葉として生きることになるが、内地では、殺害される女性の呼称のまま、人身御供が無くなるのとともに言葉も消えていったということだろうか。

 琉球弧における「おなり神」という言葉の聖性、重さを踏まえると、この「オナリ女」伝説も衝撃を受けずにおれない。


『生贄と人柱の民俗学』

穀物として再生するために殺害される女性としてのおなり

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 また、気になるものを読んでしまった。

 オナリは元々'沖縄を始めとする南西諸島で姉妹のことをいうが'自分の姉妹のことをオナリというのは男性のみで'女性は使わない 。オナリは呼び名として今でも使用されているという。古くは、姉妹はオナリ神として兄弟たちを守護するという信仰があり、兄弟の旅立ちには姉妹の持ち物をお守りとしてもらっていったという。

 本土にもオナリという女性はいる。しかしそれは姉妹とは無関係で、沖縄のオナリと同じものであったかどうかは問題になっている。本土のオナリは'オナリド・ オナリサマと言われ、田植時に食事を運ぶ役目、苗取りの束ね藁を渡す役目をする。東日本ではヒルマモチというが'それは昼食を持つ意である。 彼女達は山麓リ'野寵リ、また浜降りなどの物忌みをし、別火生活を送る若い女性であった。別火生活は神事を行う神聖な役目を担う者のつとめである。(中略)オナリ・ ヒルマモチがコモリを行うのは'田植に際して来たるべき神を迎えるためで'彼女達は巫女の性格を持っているといえる。

 問題は、その田植に従事する女性が非業の死を遂げる話の数多いことだ。或いは死なないにしても、祭りの日に田の中で蹴り倒される習俗がある。前者の例では「嫁殺し田伝説」といわれる話が各地に存在する。(中略)

 田植時に田や水で死ぬ女性がいる。そこから柳田国男氏は古来オナリが田の神の犠牲に供えられた習俗があったと推測した。そして田植儀礼は'神への犠牲としてオナリを殺すことをその一 成素としていたらしいといっている(瀧川美穂「ヤマタノヲロチ考-イケニエと巫女-)。

 本土のオナリには巫女としての意味を持っている。それなら、なおさら琉球弧とのつながりを考えざるをえない。

 瀧川は、「来訪神が怪物化、邪神化するとともに、異界と接する巫女は神の妻から生贄へと移っていったのである」と締めくくっているが、ぼくたちは男子結社のなかで神話を演じた来訪神の横で、殺害される穀母としての女性の名がおなりであった可能性を認めておけばいいのだと思う。

まれびとの「神話」と「歴史」

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 鈴木満男は、『マレビトの構造―東アジア比較民俗学研究』1974年)のなかで、折口信夫の「まれびと」を、「神話」と「歴史」の二つのモデルに分類している。

 第一次モデルが、主として神話の次元に関るものであること(歴史の次元においては、それは原始・国家以前の段階において最も純粋に現れること)。
 これに対して、第二次モデルは、主として歴史の次元に関り、古代国家の形成過程の宗教面における反映と言った程の意味を持つこと、の二点である。

 「神話」には、「死者→先祖→神」という系列が属し、「歴史」は大和朝廷に対し、服属、絶滅、放浪したもののうち、特に放浪者である「ほがひびと」が属している。

 この「神話」と「歴史」の分類が意味を持つとしたら、古代人が来訪神を観念する二つの契機を示していることだ。ひとつは他界の表象であり、死者が赴き、また未生の状態のものたちのいる場所である。もうひとつは、異人を死者あるいは神と見なしたことによるもの。

 琉球弧の場合、後者は、痕跡を認められるものに関する限り、「ほがいびと」というより、新しい技術や信仰を持って到来した人々のように見える。


トゥブアンとドゥクドゥク

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 ニューブリテン島のトゥブアンとドゥクドゥク。

 トゥトゥア祭り。ドゥクドゥクが太鼓を叩くと、トゥブアンが踊りはじめる。日常語とは違った秘密の言語で歌う。続いて、二ドック祭り。これが少年たちの入社式。集会地に入ると、トゥブアンが棍棒で若者たちを叩く。それを合図にドゥクドゥクが若者たちに襲いかかり叩きのめす。結社員は、若者たちにドゥクドゥクの踊り方を教え、祭儀の秘密を漏らせば酷刑に処すると脅す。この日の真夜中に、トゥブアンの叫び声と太鼓の轟が村に聞える。新しいドゥクドゥクの誕生が知らされる。

 新入結社員もドゥクドゥクに仮面仮装する。夜明けとともにトゥブアンは新しく生れたドゥクドゥクを従え、森を取って巡りあるく。一行に出会ったものは、昔は殺された。一行は、海岸に出て海から村に上陸する。一行は公開祭場にいたり、そこで女性や子供に示威する。最後にドゥクドゥクの仮面は壊され、仮装は焼かれ、今年のドゥクドゥクは死ぬ。トゥブアンは小屋に入ってつぎに生き返るまでひきこもる。(『異人その他―他十二篇』)。

 岡が参照している書籍に当ると、少年たちの試練は2週間にわたるとある。

The day before the Duku-Duk's expected arrival the women usually disappear. or at all events remain i their houses. It is immediate death for a woman to look upon this unquiet spirit.
Before daybreak every one is assembled on the beach, most of the young men looking a good deal frightened. They have many unpleasant experiences to go through during the next fortnight, and the Duk-Duk is known to possess an extraordinary familiarity with all their shortcomings of the preceding month.

The last day on which the moon is visible the Duk-Duk disappear, though no one sees them depart; theirr house in the bush is burned, and the dresses they have worn are destroyed.
(Hugh Hastings Romilly「The western Pacific and New Guinea」

cf.G.Brown:「Melanesians and Polynesians; their life-histories described and compared (1910)」

Rivers: 「The history of Melanesian society (1914)」


 トゥブアンはドゥクドゥクの母で女性とされている。

 マヨ祭儀において、マヨの母、あるいはマヨの娘として少女が殺害されたが、トゥブアンの祭儀では殺害されることはない。トゥブアンの子、ドゥクドゥクが祭儀のなかで毎年、死ぬ。トゥブアンの祭儀は、マヨ祭儀の後の段階に当るものだ。

 マヨ祭儀は、男子結社員のみで行われ、女性の殺害を持って終わる。トゥブアン祭儀においては、ドゥクドゥクが死ぬ。マヨ祭儀のマヨの母(娘)の役割は、トゥブアンとその子、ドゥクドゥクが担う。ドゥクドゥクは、殺されるマヨの母(娘)で、トゥブアンは穀物として再生したマヨの母(娘)の表象であり、これがトゥブアンが女性であることの意味だ。

 トゥブアンでは、女性や子どもたちに姿を現す場面を持っている。というより、それはトゥブアンが人目に触れる機会になっている。若者の入社式に最初に現れ、通過儀礼を果たした後、女性や子どもたちの前に姿を現す。

 トゥブアンが女性神のみではなく、男女二神になれば、もうアカマタ・クロマタと同じである。


「大地・農耕・女性」

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 エリアーデの『大地・農耕・女性』について、ぼくたちの問題意識にひっかかる個所を挙げていく。

 大地はあらゆる存在表現の基礎。それは宇宙的。農耕の始まりとともに、それは地下的になる。

 子供は父によって受胎させられるものではない。子供は父の存在によって合法的となる。父の存在は、彼自身をもって終わるのであって、決して他のものを通して次へと伝わることはできなかった。

 大地は地母神だったが、農耕によって植物と収穫の大女神に代わられる。地母神が穀母神にかわる。

 女性は農耕を発見した。人類と大地の比較は、農耕と妊娠の真の原因を、ふたつとも理解しえた文化内において起こる。

 再生供犠は、天地創造のひとつの儀礼的な繰り返し。

 食物生命に宿る力の再生は、時間の更新を通じて人間社会を再生する力を持っている。

 死者は生者の豊穣儀礼に参加するために返ってくる。

 ことごとく、ぼくたちの問題意識に関るのだが、南太平洋の事例があまりないために、知りたいことに一歩、届かないもどかしさがあった。

 現状の仮説は、

 ・女性の殺害による穀物としての再生という農耕祭儀。
 ・穀母神とその子の穀霊という設定による殺害の消滅。
 ・人間の性交と妊娠のつながりの認識の獲得。
 ・男女二神の設定。
 ・兄妹始祖神話の誕生(更新)。

 という流れだ。

 わからないのは、女性の殺害時点で、男根や精液に対する信仰があった時点では、人間の性交と妊娠のつながりの認識は無かったという理解でいいのか、ということだ。



精液原理

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 マヨ祭儀を行っていたマリンド・アニム族。結婚にあたって新婦は、健康と多産のために初夜に夫と同家系の男達の性交の相手をして、精液の洗礼を受けなければならなかった。結婚後も出産の後の最初の月経がはじまり、妊娠可能期に入ると、それが繰り返された。(『縄文土偶の神話学―殺害と再生のアーケオロジー』)より)。

 これを見ると、男女の性交が妊娠につながるいという認識は無いように見える。あれば、夫との性交のみに依存させるはずだ。

 サムビア族では、口唇性交により少年たちは大人の精液を飲まされた。妻から出る母乳も夫の精液の変化したもの、胎児の骨、皮膚、筋肉、内臓も精液によって形成され成長するものとされる。だから、妻が妊娠したら怠らずに性交に励み、精液を母胎に供給し続けなければならない。

 Herdt は、人間は精液がそのなかを通って次の世代に伝達される一時的な容れ物に過ぎず、精液こそが主体であると、この精液原理を説明している。

Its magical power does things to people, changing and rearranging them, as if it were a generator. They however, can do little to affect this semen principle: it does not reflect on them, but merely passes through them as an electrical current through wire, winding its way into bodies as generator coils for temporary storage. Because it is instrumental growth, reproduction, and regeneration, sperm(and its substitutes) is needed to spark and mature human life. Human are its objects. (SEMEN TRANSACTIONS IN SAMBIA CULTURE).

 これなど、最近の人間は遺伝子の乗り物に過ぎないという口吻を思い出させる。ある種の現代の科学が汎遺伝子主義なら、メラネシアでは汎精液主義だったわけだ。あまり変わりはない、というべきか。

 神話を再現して女性が殺害されるというなら、人間も植物由来で誕生すると考えられていたということか。



入団式のタイミング

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 男子結社の加入礼がアカマタ・クロマタ祭祀のどこで行われているか。加入はアカマタ・クロマタ出現の前になされている。古見では、アカマタ・クロマタがきえた後に通過儀礼が行われている。祭儀の準備と同時並行に進む様は、増田和彦の報告がもっともよく分かる。 


 新城島のアカマタ・クロマタ。

 1日目 願解き
 2日目 アカマタ・クロマタ親子四神誕生。アカマタ・クロマタ秘儀集団への加入儀礼。夜、聖杜広場に四神が出現し、村人全員とマキ踊りをする。その後、各戸巡遊。
 3日目 明け寅の刻に来訪神と別れの儀式。村人のマキ踊り。あとのお祝い。

 秘儀集団名、ヤマシンカ(ヤマニンズ、アカマタニンズ)。秘密の伝授、仮面への礼拝のあと、直ちに豊年祭の仕事の分担に入る、とある(植松明石)。

 1日目 午後4時ごろ、御嶽に集まり、願解き。夜中、男達は神々の出現に備えて準備。長老たちによる加入者の審査、査問も行われる。
 2日目 朝、昼と御嶽において各司の祈願。美御嶽の右手のミヤラーからアカマタ・クロマタ子神が出現。午後6時ころ。子神の出現は終わる。アライリ(新入り)。審査の最終判定。合格するとすぐ当日からミラヤー入りが許され、一員としての任に当たる。7時過ぎ、アカマタ・クロマタ出現。みなで踊る。女性や子供は家に帰り、神々の来訪を待つ。夜九時頃から。
 3日目 4時ごろ、十字路に集まる。来ては戻りつを繰り返しながら御嶽の中に消えていく(増田和彦)。


 小浜島のアカマタ・クロマタ。

 3日前 加入審査。この時合格した者だけが後日「ナビン洞入り」を許される。
 1日目 御嶽プウリ。
 2日目 結社員が夜明けまでナビン洞に集合し、儀式が催される。部落民は潮時を見計らってナビン洞入りを行う。新入りの儀式。アカマタ・クロマタ出現。
 3日目 西原遊び。新加入者の誓約式(喜舎場永珣)。


 西表島古見のアカマタ・クロマタ。

 事前  古老たちによって面を被る者たちの選定。
 1日目 願解き。御神酒(豊穣の感謝)。
 2日目 船漕ぎ。アカマタ・クロマタ出現。
 3日目 ウイタビヌ願い。加入儀式(喜舎場永珣)。

 1日目 司の祈願。夜、ギラムヌたちが三神の面をトゥニムトゥから秘儀の行われる場所に、他人に見られないようにして移す。翌朝までに準備をする。
 2日目 未明。新入員の加入儀式。10時ごろ、船漕ぎ。日が暮れる頃、三神の出現。出現の儀式にはウイタビは千メートル離れたところで待たされる。司、女性や子供の待っているトゥニムトゥに出現する。別のトゥニムトゥをまわり御嶽へ行く。村人たちに見送られながら山中に消える。
 3日目 入団式。イニシエーションはこの時。

農耕祭儀と成人儀礼

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 来訪神の儀礼とはどのようなものか。

 祭儀は、八月五日夜の司たちの女神役がビタケ御嶽(わー)の拝所でおこもりをするときから始まる。六日はオンプールーとよばれ、一年の豊作感謝をことほぐ日であって、夜には御嶽の境内でしし舞いが行われる。これがおわると、部落の家々は全戸が雨戸を厳重に閉ざして忌みごもりに入る。家の外に出ることも、部落内の道を往来することも、すべてがアカマタ・クロマタ祭儀団体(=男子結社)の厳格な統制のともにおかれる。というのは、この晩にビタケ御嶽の内部にあるナビンドーとよばれる霊地でアカマタ・クロマタが誕生するからである。したがって、団体の成員である男子は全員が御嶽の境内に参集し、一晩中寝ないでアカマタ・クロマタの生誕の秘事を護るのである。境内の周辺は若者たちによって厳重に警戒線がしかれ、何人もこれを突破して秘事を窺いみることができなくされている。境内の一隅に草を編んでつくられた小屋があり、男たちはここで寝泊まりする。御嶽のなかからは一晩中ゆるやかな調子で太古の音がきこえ、忌みこもっている村人たちに今宵こそはアカマタ・クロマタの産れる日であうろことを告知するかのようである。

 七日はムラプールーとよばれ、きたるべき年の予祝をする日にあたる。村人たちは一年に一度だけ出現するアカマタ・クロマタを迎えるための準備をする。女神役たちはパナグミと呼ばれる海の幸・山の幸を盛った献立をつくるのに忙しく、男の一部はアカマタ・クロマタの伴をするシンカとよばれる一団の先頭に立てるノボリを作る。これには太陽と月を染め抜いた旗がとりつけられている。午後四時頃になると、村人一同老いも若きも、子どもたちすべてが御嶽の境内にあるナハおがんに集まってくる。おがんのなかでは女神役すべてがパナグミをもって集まり、神宴をくりひろげる。やがて夕刻太陽が沈みはじめる頃にアカマタ・クオマタの子供が出現する。全身葡萄の葉で覆われ、両手に細い鞭をもっている。これに触れると一年以内に必ず死亡するというので、アカマタ・クロマタがあばれだすと、群集は必死に逃げまどうのである。親のカマタ・クロマタは夕刻も遅くなってから出現し、四神を中心にシンカが囲集し、さらに一般民衆も加わって豊祝の踊りを行なって御嶽における予祝祭を終える。夜はアカマタ・クロマタが一晩中部落内の各戸を、まず、トゥネムトの家から司→カマンガ→バクスの家へと来訪し、さらに祭儀団体における先輩・後輩の世代序列にしたがってつぎつぎと訪れていく。やがて一番鶏がトキを告げると、部落はずれの霊地ナビンドーへ通じる神道に村人一同が参集し、わらでたき火をして神送りの行事を行う。このときにはカマタ・クロマタが闇のなかから幾度となく姿を現わして別れの耐え難さを村人に告げ、村人もまた別れの歌を切なく、声をかぎりに歌いつづける。老人たちが万感胸に迫って思わず落涙するのも、このときである。この七日から八日朝にかけての行事はきわめてドラマチックで演出効果もすばらしく、そこには長年月にわたる文化的な発展の行程が深い影を落としているといえよう。(『南西諸島の神観念』

 秘祭を仔細もらさず記述するのは土台、無理なことだが、住谷一彦の報告は、祭儀を圧縮した形でその骨格と雰囲気を伝えてくれている。ここから読みとれるのは、来訪神が予祝の農耕祭儀として男子結社により行われているということだ。しかし、アカマタ・クロマタとの別離の際に、「老人たちが万感胸に迫って思わず落涙する」ところからは、来訪神が予祝のために訪れてくれたというだけではないことも感じ取れる。

 ところで、この祭儀では記述には現れていないもうひとつの過程が同時並行的に進んでいる。それは、男子結社への入社儀礼だ。それは、結社員が誕生の準備と儀礼に取り掛かる来訪神の出現の前夜に始まっている。そこで、長老たちによる加入者の審査、査問も行われるのだ。翌日、審査の最終判定が行われ、認められた者は早速、アカマタ・クロマタ祭儀の準備の一員に加わるのだ。結社員になった少年たちには非常に厳しい通過儀礼(イニシエーション)が待ってるが、これは、多くの部族社会に見られた成人式儀礼と同じ意味を持つ(cf.「『加入礼・儀式・秘密結社: 神秘の誕生』のメモ」)。

 成人式儀礼では、少年は母から引離され、痛めつけられ、しばしば怪物に飲み込まれるという形を取った、象徴的な死を経て、大人へと再生しなければならない。その過程で、名を変えられたり、村落へ帰っても別人のように振る舞ったり、また母親や親類も知らない人に接するように振る舞う。この最初の儀礼が数ヶ月続く場合もあるのだ。西表島古見の場合、この通過儀礼は、太陽の照りつけるなか、長時間、正座をし両手を大きく開いたり合わせたりする動作を繰り返し、少しでも姿勢が崩れると、棒でぶたれたり水を浴びせられたりすることや、意中の女性を告白することが報告されているが、これもかなり省略が進んだ内容であることが察せられる。

 とはいえ男子結社員は、村落の出身者であり品行方正でなければ加入できず、誰でもが儀礼を通過できるものではなく、そのなかでは仮面仮装のアカマタ・クロマタに関する秘密を守ることが厳命されるという点では男子結社の特性が顕著に見られる。

 エリアーデは、秘密の仮面結社に見られる特性として、次の四点を挙げている。それは、秘密ということが重視されること、通過儀礼の残酷さ、仮面によって人格(ペルソナ)化された「祖霊たち」の祭祀が優勢であること、そして、祭儀のなかで高神の存在がないこと、だ(p.134『加入礼・儀式・秘密結社: 神秘の誕生─加入礼の型についての試論』)。そして、この特徴は、アカマタ・クロマタ祭儀にもぴったり当てはまることが分かる。

 だから、アカマタ・クロマタ祭儀をその原型に向かって理解しようとするなら、来訪神が予祝の農耕祭儀として男子結社により行われているというだけでは不十分で、そこに男子の成人儀礼が含まれていることを言わなければならない。

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