ぼくたちは「蝶形骨器(ちょうがたこっき)」は、蝶をモデルにしていると考えてきた。(参照:「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」(金子浩昌))
それは「蝶」に似ているからということに加えて、琉球弧では、蝶が「死者」や「霊魂」の化身と言われていることも、この理解を促してきた。
なぜ、蝶が「死者」の化身なのか。それは、初期の家屋内あるいは周辺で死者を葬り、殯を行なったとき、死体に群がった蝶を、死者が蝶に姿を変えたものとして見なしたからだと考えられる。
では、なぜ蝶は「霊魂」の化身でもあるのか。ぼくはこの点は、「死者」の延長で捉えたものと見なしてきたが、実はもっと深い根拠はあったのかもしれない。頭部の真ん中にある「蝶形骨(ちょうけいこつ)」だ。
(図2.蝶形骨)
これもまた蝶に似ているし、蝶形骨器にも似ている。
島人が「人間の内部にいる人間」(フレイザー)として「霊魂」の概念を持ったのは、この頭蓋骨内部の「蝶」を媒介にしたのではないだろうか。それは、「人間の霊が骨、特に頭蓋骨に留まるという信仰」(松山光秀『徳之島の民俗〈1〉』)とも見事に符合している。
洗骨の過程で、頭のなかの「蝶」を見出した時、「蝶」は死者の化身であるだけではなく、霊魂の化身でもある根拠が見出されたのだ。
また、ぼくたちはまた「蝶形骨器」は、シャーマンが後頭部に装着したと見なしてきたが、そこは「蝶形骨」の位置し具合からみても、とても自然なことも分かる。
付け加えれば、霊魂が鼻や口、後頭部の首筋から抜けると言われてきたことも、子供の背守りが襟首につけられるのも、とても自然な考えだ。これらのことは、身体内部の「蝶」が霊魂の発生を媒介したことを意味しているのではないだろうか。