徳之島の刺青思考は、まだ追わなければならない。琉球弧であれだけ重視されている尺骨頭部左右のトーテムと霊魂の座は、徳之島でどう捉えられていたのか。
まず、トーテムの座であり文様図形の基本になっているのが下図。貝を表すと考えられる。
この他に出現するのは下記で、これを見ても多くのデザインを開発したのが分かる。
これに対して右手の「霊魂」の座を象徴するのはこれだ。
これは左手の尺骨頭部を再編した図形である。
この右手のバリエーションは下記になる。
問題は徳之島の場合、「貝」系が必ずしも左手に出現するとは限らず、「蝶」系(と仮にしておく)も必ずしも右手に出現するとは限らないことだ。煩をいとわず46例の分布を列記してみる。
つまり、正当的な配置になっている(貝:蝶)系は全体の半分弱に過ぎない。考えるべきは、21例ある(蝶:蝶)系だ。
ここであれだけ霊魂思考を発揮して図形を考案してきた徳之島だから、デザインに溺れて配置はいい加減だったという理解は採らないでおく。
するともっとも妥当な解釈は、琉球弧において「霊魂」概念が、「霊魂」と「霊力」の二重性から、マブイとして「霊魂」寄りに一本化されていく過程をこの分布は示していると理解することだ。すると、(貝:蝶)という正当な配置から、(蝶:蝶)という傾向を生み出したと受け止めることができる。
そして琉球弧の「霊魂」概念が、すっきりした「霊魂」そのものではなく、「霊力」をまぶした死者概念にも近しくなることが、徳之島の「霊魂」図形がトーテムの再編としてデザイン化されていることと符合する。
またそれは手の甲の基本要素である図形((蝶:貝)、(蝶:蝶)の左側)が、「花」系の名称で呼ばれるのも霊力と霊魂のアマルガムとしての霊魂を象徴しているのかもしれない。
つまり、徳之島の霊魂思考は、霊力と霊魂が編まれた姿を捉えるところまでデザイン化を進めたと見なすのだ。