惠原義盛の『復刻 奄美生活誌』から。
ヤコウガイやシャコガイの殻は鍋、中位のは椀、ホタテガイの殻は杓子、ミミガイやベッコウザラはスプーン。童名の「鍋」には、貝が宿っているということだ。
ウミウサギ(ヨナスビ)は、子安貝。
貝は保護色をしているので、初心者には容易に見つけられないが、なかには周囲の色とちがう色で「きらきら輝いているのがいます」。
そこに「太陽」をみる貝はシャコ貝だけではないのが分かる。惠原は、高瀬貝(イフ)ものなかに入れいている。
砂浜のない黒い岩石が海岸伝いにある地形を、惠原は「クルヒザ」と呼んでいる。与論のクルパナもこの流れにあるのかもしれない。
貝をとるときに、島の女性は石をひっくり返すことはしない。
ミミガイ(ムリゲ)は、「女性の隠語にも使われる」。マガキガイは、テナザ。テラザやトビンニャとも呼ばれる。テナザの殻は子供の遊び道具。独楽をつくる。
この独楽は上から息を惹きつけると、いつまでも回るのが特徴で、昔の子供達は息を吹き吹き、移動して行って闘わせて遊ぶのでした。
アマオブネ(トリクヮ)は、おはじき遊びの玉。
イラブチは「ご馳走の最高のもの」。
ヤコウガイは「潜りの達者な者でなければ獲れません」。マンボウガイは、「ナルコンミャという大型貝もいると聞かされたものはこれではないか」。
国直のノロの家にテロコギ(テルコ扇)と一しょに神道具としてナルコンミャといわれている貝殻はマンボウガイではなく、図鑑にゴホウラとして載っているものに近いものでした。
明治初年までは知名瀬のフーグチにテロコンミャが沢山獲れた。
ボラの成魚は、根瀬部では「サクシ」という。
昔から名のない蟹は食べるなと言われる。これを獲って食べて一家全滅した話しをしばしば聞く。
これが、大島で蟹がトーテムになった理由かもしれない。
昔は、経糸は、「芭蕉の苧やヤマヲ(山の蔓の繊維)を撚って」作った。
少女がする化粧は、「爪染め」と「唇染め」。
惠原の民俗誌には、ヒザラ貝が出てこなかった。「奄美大島北部、笠利湾における貝類知識(飯 田卓、名和 純)」によれば、ヒザラ貝は喜瀬でキズマ(グズマ)などと呼ばれている。思うにこれは太陽系の名だ。龍郷でクジマ、喜界島でクンマーと呼ばれるのも同型だと思う。
ヒザラ貝が、太陽系の名なのは不思議だが、肉の方の色を呼び止めたのではないだろうか。