若狭湾は縄文の世界を追う者にとってわくわくする地形だ。
著者の田中祐二によれば、三方五湖の奥には「古三方湖」があって、その周辺に貝塚遺跡が集中している。
こういう地勢だと、「あの世」はいたるところに候補を挙げたくなるが、残念ながら墓壙が発見されていない。地勢からいえば、「古三方湖」は境界域になるが、その先の「あの世」の場は現状の情報からは分からない。「栽培植物」が始められていたというから、「あの世」には地下のベクトルも持っていたと思える。
しかし何といっても目を引くのは、赤く塗られた漆塗土器だ。下はよく似た例として山形の押出遺跡から出土されたものだ。
渦巻きといい赤といい、琉球弧の方からみれば、これは「貝」を表現したものに見える。赤は丹彩土器にも使われている。
そしてすごいのは、「刻歯式堅櫛(こくししきたてぐし)」だ。
これは「鳥浜貝塚のシンボルといえる有名な飾り櫛」とされている。「上端には一対の突起があり、鹿角をイメージしたのではないかともいわれる」。
これも琉球弧からみれば、鹿トーテムを象徴したシャーマンの化身装具が考えられる。また、アカソを素材にした衣類と推定される編物も出土している。
これらからいえば、鳥浜人のトーテムは、鹿、貝、アカソの可能性があるわけだ。
メジャーフードをみても、鹿や貝は身近だったことがわかる。琉球弧がサンゴ礁人なのに対して、鳥浜貝塚の人々は、湖人だった。しかも時間幅は約12000年から5000年前までの7000年間におよぶ。とても安定した世界だったのだ。