もともとの出典が分からないのだが、飯島吉晴は対馬の胞衣習俗について書いている。
対馬では、胞衣はミズハリといい、これに包まれて子が生まれるのはめでたいとして、「イヤマブイ」を寺からもらって一緒に埋めた。
対馬の任立村では、胞衣を「イヤ神様」と呼び、「よく洗って苧桶に入れその上に茶碗に盛った飯を供えて産婦に食べさせた」。
『日本産育習俗資料集成』に依ると、「イヤマブイ」は「胞衣護符」で、久田村、厳原付近とある。ただ、「イヤ神様」の記述はこの資料にはない。どちらにしても胞衣の霊の存在をうかがわせる。それが対馬には残っていたわけだ。
胞衣をイヤと呼ぶのは、琉球弧だけではなく、九州にも広がりが見られる(「産育と便所」)。
ユナ、イヤ以外の音としては、与論では「ソイ」「シダビ」と呼ばれる(「南島産育資料」)。「ソイ」の意味は分からないが、「シダビ」は「ウットゥビ」に対して年長者のことを指す。胞衣は、相方であっても年長とみられたわけだ。赤子を包み守るからだろうか。