もうひとつ村瀬の言うことに立ち止まりたいのは、「双葉ことば」と彼が名づけたもののことだ。
「ワンワン」、「ブーブー」は文としての性格を持った「一語文」という理解に対して、村瀬は批判している。
それは文に行く手前で、「<指示決定-自己確定>の二重性を踏えた表現の形態であると考える」。「共同で指示決定した解釈を、〈自己〉が又決定し直す」ことである。
村瀬はそこで、それは「一語文」というより、強いていうなら、「ひとつの表出形態=芽が双葉のように二義の内容をもつ形で意識され表出されるという意味で」、「双葉ことば」と呼んでいる。
これは優しい命名だ。ところで、ぼくはここで、「双葉ことば」にしばしば畳語の形をとることに着目したい。「霊魂」を調べているときに強い印象を残すのは、「ヌアヌア」、「ガラガラ」、「ルモルモ」など、チャーミングに聞こえる畳語の形態を取ることだ(cf.「霊魂協奏曲」)。
これも「双葉ことば」の系列にあると捉えていいのではないだろうか。「ルモ」と支持されたものは、「ルモ」であるという「「<指示決定-自己確定>」である。
この「双葉ことば」は、ひとつのものの別名という形を取ることもある。想定しているのは、「ニライ・カナイ」という表現や三内丸山などの地名である。それは、「ユンヌ-エラブ」という地名の連称にも通じている。もっといえば、それが枕詞の元でもあるのではないだろうか。
ともあれ、霊魂名や「ニライカナイ」の他界名には、「双葉ことば」の用法が息づいているわけだ。