下田原期は、北琉球の前3期に近接している。北琉球では、貝トーテムの発生であり、死の受容の段階として捉えてきた。これは、南琉球では同じではない。
サンゴ礁の形成からみれば、前3期は「礁原の拡大と防波構造の強化」の時期に当たっている。これを受けた南琉球の変化とは何だったのか。
多良間添道遺跡や下田原貝塚(1954・1983-85)は宮古・八重山諸島の中でも環境の異なる島への文化的に適応しようとする試みが行われた段階と捉えることが可能で、道具のバリエーションやサンゴ島由来素材の顕著な利用という点からは、特に下田原貝塚(1954・1983-85)が位置付けられる新段階において発展したと考えることができる。(「宮古・八重山諸島先史時代における文化形成の解明 遺跡属性と生態資源利用の地域間比較を通した文化形成の考察」山極海嗣、2016.03)。
こうだとしたら、北琉球で「定着」を生んだ事態は、南琉球では、「サンゴ礁島への回遊的進出」を生んだということになる。