ニュージーランドには大型のトカゲが実際に生息していた。メラネシア方面から伝わった鰐の伝承はトカゲのイメージに重なり、竜の観念ができあがったのだろうと、後藤は書いている。
マニニが航海をして見知らぬ土地にたどりつく。老婆と娘が人食い竜に苦しんでいる。土地の人は火を知らず、生のものしか食べたことがなかった。竜を倒したら娘をもらえる約束をし、穴に隠れながら、マニニは竜の腕や指を切り取り、とうとう竜は死ぬ。その腹を割くと、たくさんの死骸が出てきた。
マニニは娘を得て妊娠するが、土地の女たちは腹を割いて出産させるという。マニニは止めるが、いないあいだに腹を割いて出産し、娘は死んでしまう。
新しい生命が生まれるたびに母親が死ぬ運命にあったという状態は、脱皮型神話に出てくる永遠の命をもつ状態の対局である。しかし両者とも、異常な生命の状態を表す点では共通する。それは無秩序な社会ということだ。子供が生まれるかわりに母親が死ぬのなら、家族というものは成り立たない。逆に誰も死なず、老いることがなかったなら、(中略)近親相姦の危険も起こりやすくなる。また祖先を敬うなどという観念は生まれず、人口も増えすぎ、支離滅裂な世の中になるだろう。(後藤明『「物言う魚」たち』)
このような神話に、竜蛇が登場するのは、「創生以前の未分化な状態を象徴するかたであろう」と、後藤は書いている。
出産の方法を知らず、子を産むと母が死ぬのは、出産が脱皮とみなされているということだ。つまり、不死の段階の思考である。トカゲは死をもたらす。だから、トカゲ(竜)の腹のなかからは、財宝ではなく死骸が出てくるのだ。