奄美の貝塚時代後期は、阿波連浦下層式の次に沈線文脚台系になったとされている。トーテムからいえば、これはツノメガニからコモンヤドカリ段階になったことを意味する。
つまり、沈線文脚台系の形態は、アカジャンガー式に先んじてヤドカリを表現したものだ。この宇宿港の土器のシルエットにしても、蟹に比べて長いヤドカリの腹部がよく捉えられている。
新里貴之は、沈線文脚台系の後半期にスセン當式を設定している。これは底部が中空脚台になる。ぼくが目を見張るのは、同時期の沖縄が大当原期になることだ。
大当原期のトーテムはオウギガニに当たる。オウギガニが他の蟹と比べて特異なのは、サンゴ礁を胞衣とみなす地母神観念がはっきりしてくることだ。この概念はとても重要で、オウギガニ段階を通過しなかった奄美でも、地母神観念は育ったはずなのだが、それはいつなのかが分からなかった。
けれど、このスセン當式こそはそれを示すのではないだろうか。底部の中空は胞衣を示すのだ。
スセン當式は、「口縁部と胴部の境界を屈曲させるものが多」いが、これはヤドカリの胴部と腹部の境界を示す。また、「口縁部帯に断面三角形のミミズ腫れ状の突帯を配置するものが目立」つが、このミミズ腫れの突帯とされているのは、腹肢ではないかと思える。
徳之島の天城遺跡からは、「スセン當式土器段階の中空脚内部に半球状の粘土塊を詰めて中実脚台とし、時期的に後続するくびれ平底土器様式「兼久式土器」甕の特徴である木葉痕を有する」資料が検出された。「胞衣」の中空を埋め、木葉に胞衣を託したものだ。
そして、木葉痕の兼久式へと移行する。これは、アカジャンガーと同じくびれ平底と呼ばれるようになる。奄美の地母神概念は、コモンヤドカリのもとで思考されたのだ。