「死と霊境」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。
ここは要点のみを押えておく。
死者と生者との境は、村と村の境はもちろん、川や部落内の岐れ路、極端には雨だれの内と外(「後生は雨だれの外」という諺(知念)-引用者注)にさえも現世と他界の境を意識していた。たかが地先の島だとはいえ、アオの島は越えがたい遠さにある(p.315)。
酒井は、地理的な距離は近くても、心的な距離は断絶を持つもので、他界は遠くにあることを主張している。
依然として、ぼくの考えは、農耕社会以後はその通りであるということになる。「アオの島」にしても、漁撈・採取の段階と農耕が主となって以降とでは、島人の見方が変わったはずである。
死が近しいものだったというより、死が連続的であった観念を残しているということではないだろうか。
アヲヌ・トゥサン(距離が遠い)、アヲヌ、チキャサ(距離が近い)、アダアヲヌアッカナ(まだ距離があるではないか)と、アヲについて、間を意味する言葉も引いて、やはり距離感を強調している。ぼくには、「アヲ」が時間的な距離を指すこともあるのが興味深い。他界が時間としてのみ考えられていた言葉の名残りを見る思いがするからだ。