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Channel: 与論島クオリア
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南太平洋の赤と再生信仰

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 南太平洋に滴血に類する習俗はあるだろうか(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』 cf.「琉球弧の滴血」)。そしてそこに再生信仰はあるだろうか。

 事例1.タミ族(ニューギニア)。死者の肉が腐り去ると、死者の骨を掘り出し、岱赭(たいしゃ)で赤く塗り、これを束にして、二、三年家の中に保存してから埋葬する。最後に埋葬すると、墓には厳重に木の垣を結び、植える。しかし、年が経って記憶が薄れると、墓には構わなくなる(p.325)。

 事例2.ヤビム族(ニューギニア)。死者が愛児や重要人物の場合は、埋めずに包んで、腐るまで家の中に置き、しかる後に頭蓋、腕骨、脚骨に油を塗り、赤く染めて若干期間保存することがある。まま木乃伊にすることもある(p.326)。

 事例3.マリンド・アニム族(ニューギニア)。死者を家の中の、日常、座ったところ、寝所、炉辺を選び埋葬する。1年後、墓を掘り出し、岱赭(たいしゃ)で赤く塗る。頭蓋を洗って赤く塗る。そして再び墓に納めるが、このとき胸の上にサゴを載せる(p.340)。

 事例4.カカドウ族(オーストラリア北部)。墓が完成しかかると、近親者は死体の側で自分の頭を切り、血を顔や身体にしたたらせる。墓に注ぐ(p.107)。

 事例5.ビンビンガ族(オーストラリア北部)。食人のあと、腕骨の一つに岱赭(たいしゃ)を塗り、これを革紐で縛り、さらに石灰をぬる。死者の母の兄弟の息子が持って、最終儀礼の触れに持ち歩く。


 人間の血を骨に塗る事例はみつからず、顔料の岱赭(たいしゃ)が登場する。色の赤は共通しているのを見ると、これはむしろ琉球弧の方が古層を指していて、もともとは人間の血を使ったものであるかもしれない。オーストラリアのカカドウ族では、近親者の血を墓に注いでいるが、これは琉球弧の事例に対して古層を指すだろう。

 ビンビンガ族は、食人のあとに骨を赤く染めている。これらの事例が意味するものを掴むために彼らの他界観念を参照してみる。


 事例1.タミ族(ニューギニア東部のタミ島はじめ小島群)。人は長い霊魂と短い霊魂を持つ。長い霊魂は影と同一視。睡眠中、身体を離れ、覚める時、帰ってくる。胃にある。人が死ぬと長い霊魂は、死体を離れて遠方の友人に死去を知らせる。その後、ニューブリテン島西岸を経て、北岸の村に行く。短い霊魂は死後のみ離れて、しばらく死体の付近を彷徨ってから地下界、ランボアムに行く。ランボアムは現世と酷似するが、現世より美しくより完全。ランボアムに行った霊魂は、蛇形でときに現世に帰来する。この時、シューシューという音を立てるだけだが、この音を解釈する者(主に女)がいて何を話しているか判断する。また、死霊に尋ねる能力のある者(主に女)がいて、これは世襲。ランボアムで死んだ霊魂は、蟻や蛆になる(p.289)。

 事例2.ヤビム族(ニューギニア東部)。死霊は、あの世では影のごとく、この世の延長の生活をする。他界はシナ諸島のひとつにある。一方、死者の霊魂は動物に転生するとの観念もある。ひとつは水鏡に映る映像、一つは陸に映る影で、シアン島に行くのは前者、後者は転生する(p.290)。

 事例3.マリンド・アニム族(ニューギニア南部)。霊魂は死後まで存在する。霊魂は死ぬと口から抜け出る。そのため口に竹を差し込んでおく習俗がある。他にも、大きな蠅の形をして、臍から出ると考える。しばらくは墓に留まる。霊魂は、夜は幽霊として、昼は鳥(鶴)および鴉(カラス)の姿を取る(p.301)。

 事例4.カカドウ族(オーストラリア北部)。国は元来、人々と精霊児に満ちていて、絶えず再生を続けている。霊魂、ヤムル(yamuru)は、しばらくするとヤムルとその影のようなイワイユ(iwaiyu)に分かれる。ヤムルが再生したくなると、遺骨を離れ、叢林で食べ物を探しに来た人を見つけると、ヤムルはイワイユを蛙の形にして食べ物に付ける。人がこの食べ物を取ると、イワイユは逃げる。何も知らない人が家に帰り寝静まると、ヤムルとイワイユは男と女の寝所に入る。イワイユは男を女を嗅ぎ、女に入る。ヤムルは再び自分の宿所に帰るが、女が子供を持つと、夜、夫にその子の名とトーテムを告げる。ヤムルは子供が生まれ、生長し、老いるまで保護の役をなし、いよいよ老いると、その人間のイワイユに新しき子供とトーテムの準備について語る。そこでヤムルは任務を終え、イワイユが新しいヤムルになる。子供は祖先のなかの特定の人の代表者と見られる(P.58)。

 事例5.ビンビンガ族(オーストラリア北部)。死霊は骨や火の上を彷徨う。儀礼を終えると、死者の霊魂は神話時代の祖先の地に帰り、しばらく歩きまわって再生する。


 驚くことに、いずれの事例も動物への転生、人間への再生信仰を持っている。人間の血、あるいはそれに代替した動物の血を塗るという行為に琉球弧の再生信仰を見る酒井の見立ては、的を外していないと思われる。



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