人間の霊魂は人間の似姿をしている。南太平洋の例でいえば、ソロモン諸島のエディストン島人では、霊魂であるガラガラは、「大人小人によって大小があるが、丁度人間のごときもの」であるといい、マレー半島ザブブン族でも人間のごとき姿をしている。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』では、より詳細な言及も見られ、エスキモーでは、「魂はその身体に類似しているので、太った体や痩せた体があるのと同じように、太った魂や痩せた魂がある」と言われている。こうした霊魂の形姿に関する思考も、夢が大いに預かっていたと思われる。琉球弧でも、「霊魂には個性があった。だから他と混同する恐れは全くなかった。それは、その個性を構成している容姿・声色・挙動等が死者生前のそれと、全く同一であったからである(柏常秋『沖永良部島民俗誌』)と、見れば分かるという言い方で言われている。体外に出た場合も、イキマブイ(生霊)が笑っているともう取り返しはできないが、うつむいているとまだ連れ戻すことができると死の前兆を察知する際に言われるように、同様だ。
だが、霊魂が体外に出て浮遊する場合は、必ずしも人間の似姿にはならない。オーストラリアのディエリ族では、「最近死せる者の霊魂は、叢林の蔭などに住み、鳥などの形で出現し、生者に病気を与える」とされ、霊魂が鳥の姿をとって現れている。フレイザーによれば、鳥として飛翔するのを防ぐための対策も採られている。「赤子を初めて血面に下ろすとき」は、鳥かごの中に入れて母親が雌鶏の鳴き真似をし(ジャワ島)、男が危険な仕事から戻ってくると、米粒をその頭に置く(スマトラのバッタ族)。これは霊魂が浮遊しかねないタイミングで、霊魂としての鳥が飛び立たないように仕向ける呪術だと思われる。結婚においては花婿の霊魂は飛び出しやすいと考えられたので、彩色された米が花婿に振りかけられる(セレベス島)のも同じだ。
ところで琉球弧において体外に浮遊する場合の霊魂は、折口信夫が琉球弧では、「蝶を鳥と同様に見てゐる(「若水の話」)」と言うように、「鳥」であるとともに、「蝶」として考えられている。
一 吾がおなり御神の
守らてゝ おわちやむ
やれ ゑけ
又 弟おなり御神の
又 綾蝶 成りよわちへ
又 奇せ蝶 成りよわちへ
(我々のおなり御神が、守ろうといって来られたのだ。やれ、ゑけ。おなり御神は、美しい蝶、あやしい蝶に成り給いて、守ろうといって来られたのだ) (『おもろさうし』
「おもろそうし」の歌謡のなかで、姉妹であるをなり神が船の航行を守護するためにやってきた姿は「綾蝶(美しい蝶)」だった。
歌謡を持ちださなくても、民俗のなかに豊かな例を見出すことができる。
「以前婚礼の宴にハビラ(蛾)が三匹、三味線にあわせて調子よく舞いあがった。音曲がやむとそのハビラは畳に落ちた。そのハビラは酒好きであった亡き祖父の姿によく似ていたので、たれかが「祖父を躍らせよ」といって音曲を鳴らすと、そのハビラはまた空中で舞いはじめたという(大島瀬戸内町)」(p.184、酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』))
蛾も蝶と同様に見なされるものだが、ここでは「ハビラ(蛾)」と死んだ祖父が同一視されている。しかもそれだけでははなく、「亡き祖父の姿によく似ていた」と、驚くべき見立てが行われている。これは、蝶(蛾)は、体外に出た浮遊する霊魂であるという考えだけからでは出てこない言葉だと思える。身体にある人間の霊魂は人間の似姿をしている。体外に出た浮遊する霊魂は蝶(蛾)である。この二つの認識がそれぞれ別個にあるのではなく、この二つをつなげて、体外に出た浮遊する霊魂である蝶(蛾)は人間の似姿をしている、という同一視がなければならないと思える。この場合、蝶(蛾)の実際の姿が人間に似ているかどうかは関わりない。蝶(蛾)に人間の霊魂の本質を見る視線があれば、ゆらうらとした羽の羽ばたきのなかにも、落ちて横たわる姿のなかにも、人間の似姿を感じ取ることができる。
琉球弧では、この見立てのなかで霊魂に形態を与えるところまで思考を進めている。それが、子供のマブイ(霊魂)抜けを防ぐために産衣に縫いつけられる「ハビラ(蝶)袋」(与路島、加計呂麻島)、「マブヤ布」(沖永良部島)、「マブイ袋」(与論島)などの三角形である。人間の霊魂は蝶(蛾)を介して三角形の形態を持ったのだ。
島尾敏雄は、問いかけに応えて、霊魂と蝶と三角形のつながりを易しく説明している。
石牟礼 あの、あやはびら、という言葉は「生き魂」ですか。
島尾 はい、「生き魂(マブリ)」でもあります。言葉そのものの意味は模様の蝶ということですが。つまり、アヤは模様、ハベラというのは蝶ですね。しかし蝶はマブリでもあります。マブリには「生き魂(マブリ)」と「死に魂(マブリ)」がありますけれども、蝶はそれらの象徴のように言っているようですね。そして、それはまた三角の形で表わします。ですから昔から三角模様というのが色んなものについています。それはハベラですね。ハベラというのは、つまり、マブリなのです。守り神の意味もこめられています。(「綾蝶生き魂 南島その濃密なる時間と空間」『ヤポネシア考―島尾敏雄対談集』)
「蝶」は「象徴」という水準ではなく、同一視されたのだが、三角形がハビラ(蝶)由来のものであることが捉えられている。