「来訪する神の再解釈 : 沖縄県宮古島市島尻の仮面祭祀「パーントゥ」を事例として」(佐藤純子、『民族藝術』2013年)。
佐藤は、来訪神とひとくくりに呼ばれることで、それぞれの個別性が見失われがちではないかと書いている。たとえば、
アカマタ・クロマタ、マツンガナシは、「豊作をもたらす神」。
アンガマは「祖先供養の神」。
パーントゥは「厄払いの神」。
とそれぞれに異なる。佐藤が特に強調しているのは、パントゥはンマリンガーという井戸から出現するが、ドゥル(泥)を塗ることが重要視されていることだ。八重山の来訪神は、すで水による死と再生で語られるが、パーントゥはンマリンガーの底の「泥」を塗る。「泥と水は代替可能なものではないことは明らかである」。
「パーントゥ」は、地下(の世界)から出現し、その怪異な姿で子どもたちを怖がらせる一方、集落の厄を祓う祖霊としての要素も持ち合せている。その黒い特異な姿に加えて悪臭を放って走り回る姿は、例えばアンガマのように笑みをたたえた翁面を用いる事例とは明らかに違っており、「パーントゥ」は与那覇がいうように「鬼のような」「怪獣」のような存在といえる。こうした外観上や行動上の特徴は、「パーントゥ」の「厄を祓う=悪いものを追い払う」という性質を改めて裏付けるものともいえる。本稿でみてきたように、「パーントゥ」は少なくとも、「海のかなたからやって来る来訪神」というイメージでは希薄であるといわざるを得ない。
たしかに、アカマタ・クロマタはすで水による再生という面を強く持っている。対して、パーントゥは、泥。他界を、精霊がさまざまに姿を変える世界と捉えると、来訪神は古形であるほど、動植物や大地の化身の様相を強く持つだろう。パーントゥは、植物や大地、腐敗のイメージを強く纏っている。アカマタ・クロマタは、他界の化身としては蛇トーテムの意味を持つので、水が重要視されている。ただ、どちらも地下に出所を持つ、地下他界の観念は共通している。
ここでは、折口信夫が「訪客なる他界の生類との間に、非常な相違があり、その違い方が、既に人間的になっているか、それ以前の姿であるかを比べて考えると、どちらが古く、又どちらが前日本的、あるいは前古代的かと言うことの判断がつくことと思う」(「民族史観における他界観寝」)という指標が有効だと思う。少なくともすぐ言えるのは、「翁面」であるアンガマは段階としては新しいのだ。
この論考では先島の「来訪する神々」、アカマタ・クロマタ、アンガマ、マユンガナシ、パーントゥについて、12の項目で比較されていて、分かりやすい。