棚瀬襄爾によれば、マライシアにおいては流動的で転位が可能な霊魂観念が見られる(『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。
要約しているポイントを琉球弧ソバージュに引き寄せてみる。
・樹上葬、台上葬を行う種族では、死汁塗沫、弔葬儀礼としての食人習俗があり、霊質観念の原型を見せ、遊離霊的生命霊としては精霊児や再生信仰に見られるように原質的な生命霊の観念を持つ。
琉球弧ソバージュの食人も、乾燥葬の系譜から来ていると考えられる。再生信仰の素地もそうだが、琉球弧においてそれを強化したのは、トロブリアンドと同じく、母系社会である。
・この系統から、特にインドネシアで霊質観念が発展する。
ここで棚瀬が挙げているのはスマトラ島のバタク族だ。バタク族では、人間や動植物は霊魂を持つ。無生物でも、鉄や有用な道具には霊魂がある。最も重要なのは人間の霊魂。人間はひとつの霊魂を持ち、恐ろしい時や夢、病気の時に、一時肉体を去り、それが永久に去れば、人間は死ぬ。自分の霊魂を強め、養うことはバタク族の人生観の中心をなし、食人の習俗も、他人の霊魂を自己の中に取り入れるためだった。死霊と霊魂の関係は学者により解釈が異なるが、死霊は死者の霊魂であるとする。
霊魂を盗んで人間を死なせるのは死霊である。バタク族の来世観念は現世の延長。来世では昼間は仕事を行わず、夜行う。死霊はなかば生者の味方だが、半ば敵で、人間の幸運を羨み、生前に行われていた慣習を改めたり、犯したりすることを嫌う。他界は地下で、死霊はまず、西方へ行き、ついで天にある神のところへ行く(p.560)。
天の他界や悪霊の不在は異なるが、その他の点は、琉球弧ととてもよく似ている。
・地下信仰のある種族では、形像霊の信仰が発達し、遊離性も強くなり、供物にまで霊肉が区別され、対人儀礼も盛んになるが、はじめは死霊に対する恐怖も強く、死者と生者の連帯感も強化される。
・形像霊で、死者と生者の連帯感が強まると供養、副葬などの対人儀礼が発達するが、生命霊系統には対人儀礼が存在せず、そもそも他界観念は人格化思考に属するもので、生命霊系統では一時的なものの他、あまり発展しない。
こうやってみると、琉球弧ソバージュの思考は、埋葬と乾燥葬の文化複合であることがよく分かる。
・生命霊系統と形像霊系統では、病因、死因の観念や治療法がまったく逆になる。
生命霊系統では、呪術による病気と吸い出しによる治療。形像霊系統では、霊魂の離脱とその捕霊が治療ということだと思う。
この点では、琉球弧ソバージュの治療法は、埋葬文化的である。
・身体に複数の霊魂を認める複霊観は身体的力ありとする生命霊系統の霊魂の凝集せるものらしい。
棚瀬は、「身体全体に遍満する一種の生命霊が基礎をなして、その上に身体の重要な部分に凝集的に幾つかの霊魂が認められるようになったのだと解される(p.870)」とも書いている。膝抱き人(チンシダチャー)を見ると、膝は重要な位置だったのではないだろうか。
棚瀬がマライシアと呼んでいるのは、「ニューギニアの除いた東南アジアの同一系統の文化地域」を指している。ぼくたちは、琉球弧における地下他界文化の同位相をニューギニアやメラネシアに、埋葬と乾燥葬の混合による地上の他界文化の同位相をマレーシア、インドネシア等に見出している。