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Channel: 与論島クオリア
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埋められない埋葬

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 こうしてぼくたちは琉球弧において、埋葬思考と風葬思考が存在し、両者の混融の思考も生み出されたと考えることができる。けれどここでもうひとつ付け加えなければならないと思える。ぼくたちは琉球弧に普遍的な洞窟に対する関心から出発した。すると、そこは葬法の最終段階で骨を納める場所としての洞窟に突きあたる。それは洞窟が普遍的であるように普遍的に見られるといっていい習俗なのだ。ところが、環南太平洋においても、それは散発的にしか現れない。棚瀬も洞窟葬と仮に呼びながら、考察を進め、固有の形態としてそれを抽出することができず、樹上葬や台上葬の一種で地理的条件がもたらしたものではないかと指摘するにとどめている。

 琉球弧においても同様なことは言える。というより、珊瑚礁列島の琉球弧においてこそ、地理的な条件は大きな意味を持った。つまり、風葬と見えるもののなかには、埋葬したいのにそうできない埋められない埋葬という形態があったのではないかと言うことだ。葬地を指さすことも禁忌とするような琉球弧における厳しい死穢感は、埋葬によって緩和されることができないという条件が生んだのではないだろうか。

 ぼくたちはここで、地下他界を信仰し、つまり埋葬思考の系列にある種族が洞穴に骨を納める例を見いだうことができる。フィリピン、ダバオ湾のサマル島の例だ。

 サマル島人は地下他界を信仰しているが、彼らは丸木舟を柩として使う。これを洞穴に持って行って別に葬儀もせず、黙って納める。墓は共同の所にすることが多く、サマル島西岸の住民は、洞穴の多いマリパーノ島(本文はMalipao-引用者注)をもっぱら選ぶ。

 珊瑚礁の発達したサマル島において、島人が地下他界の信仰を持つのであれば、それは埋葬思考の系譜に属している。彼らが、洞穴に納めるのは埋葬できないからだと見なすことができる。埋められない埋葬としての洞穴なのだ。しかも、さらに関心を惹くのは、西岸の島人がその沖合いのマリパーノ島の洞穴に死体を運ぶということだ。これも琉球弧ととても似ていると言える。琉球弧で奥武(オー)と名のつく地先の島は、しばしば葬地として利用されてきた。ここでぼくたちは、埋められないから沖合いのマリパーノ島の洞穴に死者を運んだサマル島人に、奥武(オー)に死者を運んだ琉球弧の島人を重ねてみることができると思える。

 琉球弧では埋葬思考と風葬思考が混融した。しかしそこに埋められない埋葬としての洞窟も存在した。それが、洞窟や叢林を葬地とする形態を生んだのだと考えることができる。



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