琉球弧では人間を食べたことがあった。その思考に接近するのに、村瀬学の『「食べる」思想 人が食うもの・神が喰うもの』を手に取ってみた。
とても重要なことが言われているように見える。「食べる」ことを思想として扱ったものは稀だと思うからだ。その重さを村瀬自身も考えている。
哲学がもっと早い時期に、とくにデカルトの時代に、人間の存在の仕方を「食としての存在」としてもとらえる思想を創り出していたら、こんなにも「飢え」に苦しみ、「食いもの」にされる人々が「世界」にいることに無関心でい続けることはなかったのではないかということである。本当に「哲学」という学問が、人々に大事なものを見ることを教えてこなかった罪は大きかったと思う。大きすぎるのではないかという気すらしている。
ただ、村瀬は人が人を食うことについては、深く追究していないので、彼の考えたことを手がかりにしてみたい。それは「供犠」についての思考だ。
人が「飢え」に直面したときに、「無から有へ」の過程を思考せざるをえなくなった。人が動物を食べ、有を無(微)にするなら、無(微)から有を生み出す存在がなければならない。それが神と呼ばれる「「現実」と「観念」が混じり合った存在物」である。
こうして村瀬が提示するのは、「供犠」の思考の概念図だ。
これをぼくたちの関心に引き寄せてみる。すると、
供え物=死後間もない近親者
神=死後間もない近親者
動物=死後間もない近親者
この図を元にすると、死後間もない近親者が、(供え物=神=動物)の三重の意味を帯びることになる。しかし、実際これは、供え物であり、神であり、食べ物としての動物であったのではないだろうか。
村瀬は、「神々」を創り出したときに、「ヒト」は「人間」になったのである、と書いている。では、この(供え物=神=動物)の段階では、人間ではないヒトだったということになるだろうか。いや、この意味の三重化が人間の思考の産物だと言うことができるだろう。