まだ年の瀬まで間があるけれど、「琉球弧の精神史」の探究は、途中の段落をつけてもいい気がしてるので書いておきたい。
昨年の11月に与論島で与論のことをしゃべる機会に恵まれた(cf.「「ゆんぬ」の冒険」)。これは望外のことだったけれど、その勢いを買って、与論の歴史について自分なりのイメージを掴む作業に取り掛かっていった。「与論おもろ」や「与論珊瑚礁史」、「家名・童名」などはその道すがらのもので、生まれ島のことに夢中になり、「アマム世」の前に「珊瑚(うる)世」を設けたり、「大和世」を「那覇大和世」と読み替えてみたりして、ぼくなりの島の歴史イメージを、「与論史」として整理することができた。
これはこれで充実感があったのだけれど、分かったという手応えが充分でないことも確かだった。シニグ祭に典型的なように、与論の場合は、掘り下げようとしても掘り下げられないもどかしさにつきまとわれる。これは、資料不足に依るというだけではなく、島自体の歴史が浅いことに起因すると思う。こうなると迂回して、琉球弧を底のほうから洗わなければ、これ以上の島の姿は見えてこないかもしれない。
そう思うようになり、二十代の頃からやりたかった琉球弧の精神の考古学に着手することにした。まず、折に触れて読んでいた吉本隆明の「詩魂の起源」という講演と、『アフリカ的段階について』を皮切りに、何が問題なのか、その主張が明確な吉成直樹の『マレビトの文化史』と『琉球民俗の底流』を具体的な足がかりにして進めてみた。重要な出会いはすぐにやってきた。酒井卯作の『琉球列島における死霊祭祀の構造』と棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』だ。この二冊の存在は大きい。分厚い本だというだけではなく、前者は琉球弧の、後者は南太平洋の事例を豊富に提供してくれるものだ。棚瀬の研究からは、南太平洋の習俗が琉球弧と地続きであるのにも驚かされ、この二冊は航海の地図を得たように嬉しかった。
これらを概観したところで、さて、とばかりに「琉球弧幻想論」と題して書き始めてみたのだけれど、思うに任せず、途中でまとめられなくなってしまった。当たり前のことだけれど、分からないことが多すぎる。そこで、書く準備はまだ整っていないのだと納得して、まとめることは後回しにして、調べたいだけそうすることにした。謎がありそれに向かって調べると解ける地点がやってくる。けれどその理解自体がまた新たな謎を呼ぶので、こんどはそれを調べにかかる。手当たり次第にそれを繰り返すわけだけれど、それは自然と、民俗学の領域を出て人類学の領域を渉猟することにも重なっていた。おかげでブログ記事は備忘と小さな仮説のメモと化し、読みにくいものになっていったと思う。お付き合いいただいた方には感謝に堪えない。
ただ、本人にとってこの過程は、生まれて初めて学ぶ喜びを味わっているみたいに、すこぶる楽しかった。さだめし研究者と呼ばれる人々はこんな喜びに身を投じた人種かしらんと想像する。けれど一方で、謎がなくなるということはないのだから、この作業には切りがない、果てがない。しかも、時に羅針盤もなく漂流しているような気分に襲われる。いい年をして腹の足しにもならないことに夢中になって国会図書館に通い詰めているのが不安になってくる。けれどそれでも、その都度、楽しさの方が優って、漂流しても、潮の流れや風の方位に手がかりを見つけてはまた調べるということが続いていきた。今後もしばらくはそうだろう。
ところで、この当てもない作業のなかにも確かな手応えと呼べることがあった。棚瀬襄爾が探究した南太平洋の葬法と他界観念を見ていくと、オーストラリアの樹上葬・台上葬と、その北の東西に広がる島々の埋葬とでは、葬法だけでなく、他界の観念、病因とその治療法などがくっきりと異なる。それは、最初、違いとしてしか見えなかったが、病因とその治療法などは反対の概念になったりする。どうやらここには二つの異なる思考が潜んでいるらしい。そしてそれだけでなく、異なる二つの思考は、人類初期の思考の分節化に当たっているのではないかと考え始め、そこに「霊力の思考」と「霊魂の思考」という名づけをしてみた。
さらに調べると、この「霊力の思考」と「霊魂の思考」の内実は、解剖学者の三木成夫がいう、心と精神の違い、植物性神経と動物性神経の違いにぴたりと重なることに気づいて驚いた。この二つの思考には身体構造的な根拠が得られるのだ。また、吉本隆明は、彼の言語論でいう自己表出と指示表出が、同じように心と精神の違い、植物性神経と動物性神経に該当すると気づき、晩年には、自己表出と指示表出という概念を文字以前に拡張する必要があるとして探究を進めていた。すると、この二つの思考は、文字以降は、自己表出と指示表出として展開されると予期することができる。もしかしたら、自己表出と指示表出に接ぎ木できるかもしれない。
ここまできて、「琉球弧の精神史」という初期のテーマは、本当は「琉球弧の心と精神史」とするのが妥当だったと合点したが、探究のモチーフは「文字以前の琉球弧の思考」であることもはっきりしてきた。この、霊力思考と霊魂思考が、一年近くかけて見えた灯台だ。
この航海のような漂流のような作業はまだしばらく続く。やればやるだけの応答があるので、おかげで三ヶ月前に書いたものを読むと、物足りなく感じたり間違いに気づいたりするあり様だ。けれど、灯台の光はかすかに見えるのだから、来年中にはどこかの港に辿り着きたいと思っている。