後藤明の「オセアニア海洋民の魂の器としてのカヌー」から、関心に引き寄せてメモしておく。
セピック川のイアトゥムル族は、原初の海から鰐が島を作ったと考えている。セピック川に浮かぶ草のようなイメージの島について、「陸は創造神である鰐の背中に乗っていると信じられている」。「カヌーの舳先に象られた鰐の表象は、その背中に乗っている村や人間を象徴する」。
かつて首狩りに使われたカヌーは男子のイニシエーションに欠かせない道具である。儀礼の行われる男小屋には柵が作られ、外からは見えないようにされる。内部には大きな大きな穴が掘られ、水が張られる。柵の外には割れ目太鼓の音とともに祖先の霊が登場する。霊は装飾された頭蓋骨で柵の内部から繋がれた棒によって操られ、あたかも祖先の霊が踊っているように見える。祖先の霊には供物がなされ、それが終わると柵が壊される。すると祖先の霊はカヌーの舳先の彫刻に憑依し、首狩りや交易に出る男たちを護るのである。
ぼくたちは、「イメージの力」展(cf.「「イメージの力」展、見聞記」、「「イメージの力」展、見聞記2」)や小林眞の『環太平洋民族誌にみる肖像頭蓋骨』によって、創造神としての鰐や割れ目太鼓や「装飾された頭蓋骨」について、いくらか具体的なイメージを持つことができる。
ソロモン諸島のマライタ島ランガランガでは、死者は近隣の小島に埋葬されるが、一部の位の高い者の頭蓋骨はその後村の祭壇に戻される。祭壇に頭蓋骨が奉納された者も村が移動したりするときは、埋葬の島に戻され、死者の魂はさらに遠くの死者の島に旅立つとされる。
死者の島として関心を惹かれるが、これは頭蓋崇拝が共同儀礼化されたことを示す例ではないだろうか。