仲原善忠の「セヂ(霊力)の信仰について」(『仲原善忠選集』)。
古代沖縄人の信仰の対象は何であったかということを、オモロ(神歌)を中心として調べてみると、これまで漠然と考えられていた社・嶽・神(巫女)・石・動物の類ではなく、セヂ(シヂと発音す)と言う非人格的な霊力が圧倒的で、テルカワ(日)、テルシノ(月)・テダ(太陽)崇拝がこれに次ぎ、社・嶽およびその神・火の神などは第二期の発達であったという、意外な結果が生まれた。
このことは分かるし、「おもろ」なので、王などがセヂを授かる形を取るのも了解できるが、ぼくが知りたいのはふつうの島人に、もともと備わっているものとしてセヂがあったか、霊力はセヂと呼ばれていたか、だ。
しかし、それに応答がありそうなのは、次の箇所だけだ。
然らばセヂは王だけがこれを受ける特権を持つかと言えば、必ずしも然りと言う根拠はないがオモロではセヂ招請の専門家たる巫女を除けば、男性では多分王子と思えるセヂコ(セヂ持つ幼児)が一つ見えるだけである。
しかし後述の如く地方の豪族、後には男女の貴族、領主等の通名となったアヂ(按司)の別名チヤラはセヂ持つ人の意があるようだから、上代にはセヂを持つと考えられた人が少なくなかったことと思う。
これはもちろんそうで、誰しもがセヂを持ったのである。知りたいのは、これがマブイと並び、霊魂や霊力を示すものとして島人に使われていたかどうか、ということだ。
宮城真治氏によると国頭地方ではお嶽の奥にイベがあり、その前がイベの前で、イベは神の坐す所だと後世的解釈をしてあるが、セヂ崇拝時代にはまだ神(後世の)はいないからここがまさしくセヂの降る聖なる場所であろう。
セヂは「降る」のではなく、宿る、瀰漫している点を除けば、共感できる箇所だ。