日本文化の南漸に拘泥した伊波普猷は、ニライカナイは、最初北方だったのが、三山統一後に東方に変わったと説いた。柳田國男は、「それはただ新しい名の入用は以前からなかったまでで、ニルヤはそう簡単に北から東へ方角を更え得られるような信仰ではなかった」として退けた。谷川健一は、これに「承服するわけにはゆかない」と強く反発して、三山の統一後に、東方意識が極度に強化されたとみた。
振り返ってみると、柳田國男はさすがだなと思う。北ヤポネシアから移住した人々にとって、他界の方位が北から東に変化したことはありえただろう。しかし、それは普遍的ではない。東方という方位は、どこかから変わったのではなく、出現したのだから。
いま、遠隔化された他界の方位の根拠になるものを列挙すると、
1.西方(太陽の沈む場所)
2.東方(常世として。西方の反転)
3.原郷(移動した種族にとって)
4.憧憬(富が到来する方向)
天界や仏教の影響のない段階としては、これらが想定される。
「死者の魂は太陽(てだ)の沈む方向に行く」(浦添)という言葉が、もっとも自然で普遍的だ。
cf.「他界の方位メモ」