蛇頭のアラボレを、プロト・ユタ(原ユタ)として考えたきた。蛇と人間がモチーフになっているニューギニアのコルワル像では、頭部に蛇を巻きつけた例は見当たらず、どちらかと言えば、人間は蛇を持っている。小林眞はこれについて、「蛇を持つコルワルの男性は勇敢な戦士を表している(p.79)」と書いている。
蛇は最初の祖先(蛇頭=男根)として人間たちに秘密をもらし、社会的規範を伝授し、人間に恩恵を与えてきた。蛇との結婚によって女は蛇に服従する。
脇に逸れるが、これを見ると、沖縄で浜下りの由来譚として語られる蛇婿の伝承、付き合った男性が蛇だと知って驚き、女性が浜辺で蛇を産むという話しは、蛇=祖先の拒否を語っていることになる。これを、蛇が女性であるバージョンで語られるのは、蛇女房の伝承だ。そこでは、蛇となって、つまりトーテムとなって子供を生む姿を夫に見られた女性が、子育てのための目玉を残して夫を去る。去ることによって、母なる環境へと転化する。だからこれは、トーテムを信じられなくなるということが、定着以降の段階にあることを示唆しているように見える。
話を戻そう。蛇を持つコルワル像が示しているのは、蛇に対する人間の優位性が示されているように見えて、蛇頭からは時代が進展したものだと見なせる。
小林が挙げている、蛇を持つコルワル像のなかで、蛇がより人体の上に来る例になるのは、蛇を肩越しにかついだニューアイルランド島の蛇餅死者像ウリと、セピック河中流域の蛇付き精霊像だ。
特に蛇付き精霊像は、上の人面には顎で蛇がつながり、下の顔は鼻が蛇とつながっていて、蛇と人間が一体化した表象を持っている。これなどは、蛇体頭髪土偶やアラボレの位相と近しいものだと思える。
ポリネシアでは、虹が首長あるいは王の象徴になる。この場合は、頭上に虹=蛇が位置することになる。蛇が権力と結びつくとき、それは頭上に来ることが示されている(後藤明『ハワイ・南太平洋の神話』。これは、蛇体頭髪土偶やアラボレというシャーマンでも同じことだ。