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Channel: 与論島クオリア
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使者としての王舅名

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 東恩納寛惇の「琉球人名考(1924年)」(『東恩納寛惇全集 6』)では、古書に登場する人名にも検討が加えられている。道すがら、王舅の名についいてもヒントがあるので、メモする。 

12.1403年、03月09日、攀安知、善佳古耶、臣、方物、鈔・襲衣・文綺
13.1404年、03月18日、攀安知、亜都結制、__、方物、銭・鈔・文綺・綵
14.1405年、04月01日、攀安知、赤佳結制、__、馬・方物、鈔錠・襲衣
(cf.「王舅とは誰か」

 「佳」は、「カ」ないし「ガ」の音で表記されている。「赤」は用例が見つからないが、「亞嘉尼施」(遣暹羅国使、1507年)が「アカニシ」と表記されているので、「赤佳」は「アカ(ガ)」としてみる。

 「結制」(ウッチ)は、「掟」の意味ではないかとしている。職位名ということだ。

 「亜都」は、「アトゥ」。「ウトゥ」の可能性もある。
 
 これらは童名ではなく、家名ないしは家名と位階、官名と見なされいると思える。ただし、琉球弧には、「アカト」という童名があるから、「亜都」、「赤佳」は、アカト系の可能性もあるかもしれない。

 「善佳古耶」は、表記があったので引用。その他は上記から。 

「善佳古耶」(ジンカ・グヤ)
「亜都結制」(アトゥ・ウッチ)
「赤佳結制」(アカ(ガ)・ウッチ)



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