蝶形骨器と貝符の編年を対照させおこう。
金子浩昌「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」(2014)
木下尚子「貝製蘇ぷシングからみた広田遺跡」(2004)
これをみると、蝶形骨器の終焉は、やはり交易期の始まりと関わりがあるように見えてくる。また、蝶形骨器と貝符とのあいだには、約400年ほどの開きがある。しかし、現状の出土状況や蝶形骨器の編年のあいまいさにも起因するだろう。なにより、琉球弧の蝶モチーフは連綿とするのだから、この差自体は問題ではないと思える。
蝶形骨器の終焉は、シャーマンがカミへの化身の媒体を別の表現型に変えたことを意味している。
また、琉球弧で、貝符は埋葬に伴わないことは、別の表現型を持っていたことを示す。それは「針突き」だと考えられる。
外形に焦点を当てれば、下層の貝符は、蝶形骨器のデザインを引き継ぐものであり、上層の貝符は、右手尺骨頭部と共鳴している。
いまのところ「蝶形骨器」と「貝符」のあいだが示唆するのはこのことだ。