広田遺跡で埋葬された157体の人骨に伴っていた貝製品は、総数約44000個、総重量約24kg(『考古資料大観. 第12巻』2004)。平均してもあまり意味はないが、これは280個/人にも及ぶ。
A:連結式装身具
・連結用に小孔を複数個もり、単独あるいは複数個を連ねて着用される装身具。
B:副葬品
・着装用の孔を持たず、人骨上に置かれていたもの。
貝符の出土位置は、手首、首まわり、頭に集中。連結して腕飾り、首飾りにしていた。
下層期・古段階:弥生時代後期後半~古墳時代前期(1800?年~1600年前)
下層期・新段階:古墳時代中期(1500年~1400年前)
上層期:古墳時代後期(7世紀を含む)(1400年前)
◆下層期・古段階:弥生時代後期後半~古墳時代前期(1800?年~1600年前)
・「貝符・小貝玉」型の人々。女性が多い。
・「貝輪・小貝玉」型の人々。男性が多い。
◆上層期:古墳時代後期(7世紀を含む)(1400年前)
・貝符の多くが非装身具となり、貝輪や飾り玉類が減少して、埋葬に伴う装身習俗は衰退する。
1.広田遺跡で消費された貝殻は、開始期にすでに、南九州から沖縄諸島を含む広域からもたらされていた可能性が高い。
2.下層期・古段階には、南九州から沖縄諸島に至る島嶼とのつながりを示唆するグループが存在する。
3.素材貝殻の産地は、下層から上層に移行するに従って、沖縄諸島に収斂する傾向がある。
広田遺跡を除くと、種子島、奄美諸島、沖縄諸島に広田遺跡関連の貝製品119点が知られ、それらは貝塚時代後期(3世紀~10世紀)に相当。(注.後1期中盤~後2期)。
広田人には抜歯習俗が認められる。
これらの記述から導ける仮説。
1.広田人において、貝符が装身具から副葬品へ変化したのは、生と死の「移行」から「分離」への変化を示すものではないか。
2.南島において出土する貝符は埋葬に伴わない。それは、貝符に相当する価値を身体に刻んでいたからではないか。それが「針突き」。
3.両者に共通したのは、蝶を霊魂の化身と見なすこと。
4.装身具としての貝符が、複数個連ねる場合があったのは、広田人がこのとき、複数の霊魂概念を持っていたことを示すのかもしれない。