サンゴ礁期に入って、島人は貝-太陽-女性という同一視のトライアングルを見い出す。そして生と死は、不死から再生の段階に入る。
不死-蛇
再生-貝-太陽-女性
と、ここまではいいはずだ。
松井健の『自然認識の人類学』によると、来間島では、貝と植物は男性生き物の場合は、「ビキ」がつけられて、女性を表わす「ミー」は付かないことが多いとしている。これは、植物も女性生き物だったことを示している。それは、木の実が落ちるものであり、貝と同様、大地に根差しているところから来ていると思える。
で、このとき、月が「もうひとつの太陽」と見なされたのは、貝から太陽が誕生することを受けて、そうなったと考えられる。そして、この段階で、性が表現になったとすれば、月は男性として見られた可能性がある。ただ、神扇の表は太陽、裏は月ということからすると、もうひとつの太陽も女性だったのかもしれない。
問題は、「貝-太陽-女性」以前の段階で、蛇や月に性が与えられていたかどうかということだ。
もし、サンゴ礁出現以前は、独神の段階であったら、蛇は男女の精霊ではなかったことになる。ただ、月はもともと女性との結びつきは強いので、女性的な存在として見なされていたとも考えられる。