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Channel: 与論島クオリア
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『神と自然の景観論』(野本寛一)

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 野本寛一は、緒言で「聖なる一本の樹木の場合、依り代なのか神体なのか不明確なことが多い」と書いている。ここに二重性が認められる場合は、「神体」→「依り代」への転換を想定していいのだと思う。

 八重山の竹富島の西側の白砂の浜にあるニーラン石。神がとも綱をつける石。ニーランの神は、ニーランの国からの穀物の種子を小波本御嶽のなかにあるクスクバーの岡という小高い岡に登り、ハイクバリの神に命じて穀物の種子を八重山に配ったという。野本は、「ニーランの石は神の依り代である」としている。

 ニーランの石は、小浜島の大岳、西表島の古見岳が一直線上に連なっている。新城島上地では、一年のうちでもっとも聖なる時間に西表島の古見岳を遥拝する。

 これらはいくつかのことを示唆している。

・ニーランの石は、縄文期の「あの世」との境界部
・クスクバーの岡は、縄文期の「あの世」
・御嶽が縄文期の「あの世」にそのまま建てられることがある例
・竹富島も八重山の「あの世」の島のひとつ
・小浜島の大岳、西表島の古見岳は、竹富島にとっての遠隔化された「あの世」
・同じく、西表島の古見岳は、新城島の遠隔化された「あの世」

鳩間島は、島自体が聖地である。沖縄本島における久高島のごとく、八重山諸島において信仰の核となるような聖なる島なのであった。

 縄文期のあの世の島として典型的なのは、沖縄本島の久高島、宮古の大神島、八重山の竹富島、鳩間島ということになる。奄美は、奄美でその位置を持つのは喜界島なのではないだろうか。

 奄美大島大和村の立神について、野本は書いている。

ここで注目すべきは、オムケの願い口のなかで、立神は「立神ミカタの神様」と明確に神格化されているのに対して、伝承のなかでは、立神はテルコ神が碇をおろす場だと伝え、いわばテルコ神の依り代であることを説いていることである。

 これは、大和村の立神が、縄文期の「あの世」からナルコテルコへと他界が遠隔化したことを伝えるものだ。この場合、オムケの願い口の方が古層を保存したのだと言える。

海の彼方からやってくる神はまず押角・湾口等にある柱状岩島(立神・京)に依り着く。次にムラを中心とした神女集団が浜に出て、その柱状岩島を排しながらムラに神を迎える。

 野本はこれが「立神信仰の基本」だとしている。「立神のある風景は、日本人が内在させる海彼憧憬の思いを刺激してやまない」とも書く。しかし、見ようと思えば立神には、それ以前の縄文の「あの世」を見ることができるのだ。

 伊平屋島、宮崎県の青島、佐多岬のビロウ島、野間岬のビロウ島などもクバ島であり、「いずれも聖地性が強い」。

それは、クバすなわちビロウが神の依る植物と考えられていたからである。

 ぼくたちはこれを、蛇(と貝)の化身態だからと言い換えることができる。

 ここでは、山について触れなかったが、この本は縄文の「あの世」探究の適切なテキストになると思う。 
 


『神と自然の景観論 信仰環境を読む』


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