約2400年前、1600年間続いた蝶形骨器の製作が終わる。少なくとも現在までの発掘からはそう言える(参照:「蝶形骨器・針突き・貝符 5」)。これは、蝶との関わりの終焉を意味していない。ジュゴンの骨で蝶を象る時代が終わったのだ。
ジュゴンと蝶。不思議な取り合わせだ。一方は、胞衣で他方は死後の姿。胞衣がこの世とあの世を往還するのであれば、蝶はこの世にあったり、あの世から飛来していると見なされる。そこで重ね合わせて見ることはできる。
なぜ、ジュゴンと蝶の結びつきは終わったのだろうか。
約2500年前には、蟹トーテムの段階に入ったと考えられる。蟹トーテムは、島人の自己認識が、「貝」から「貝の子」へ移行したこと、母系社会になったことを意味している。ジュゴンは、貝の霊のメタモルフォース態であってみれば、「貝の子」という認識にともなって、ジュゴンとの関係が間接的になったという可能性が考えられる。
視点を変えてみると、蝶形骨器は、ジュゴン製の骨で作られたが、それは必須ではなく、ウミガメやクジラの骨でもありえた。ということは、ジュゴンの属性のうち、もっとも重視されたのは、貝、サンゴ礁といった系列のうち、この世とあの世の往還という側面だということになる。ウミガメやクジラもそのような存在だからだ。
そこで、胞衣の側面からは少し離れてみる。
母系社会になったということは、空間認識の拡大を意味しているはずだ。兄弟姉妹間のインセスト・タブーにより、異性愛が発生するからである。そして、空間認識が拡大するということは、時間認識の深化に対応する。過去と未来の幅がやや伸びたはずである。これはどう捉えることができるのか。
母系社会になると兄妹始祖が設定される。それ以前は、女性始祖が考えられていた。この女性始祖は、集団のなかの「祖母」に象徴される。言い換えれば、「祖母」は始祖を体現するものとして集団の象徴たりえた。彼女こそが蝶形骨器を装着したはずである。
そして母系社会になると、始祖は兄妹になる。しかし、兄妹の場合、人数はまちまちだし、家族も分散する。そこで象徴的な兄妹を設定することができない。そこでは、どの兄妹も始祖をいくぶんかは体現することになるが、「祖母」が担っていた象徴となる対になることはできないことになる。そして始祖は観念の領域に移行する。
それが時間認識の深化に対応するのではないだろうか。
そこで、胞衣はこの世とあの世を往還するとしても、蝶は必ずしもそうではないという認識と結びついたのかもしれない。蝶はいずれ、一方向にどこまでも進む時間認識となってゆく。この段階は、そこまで行かなくても、蝶はこの世をひらひらしている。あの世からもやってくる。けれど、それ以外は分からない、とでもいうような未明の部分を持つようになった。それが、ジュゴンとの結びつきを弱めた背景にあったものかもしれない。