「自然の構築」(フィリップ・デスコラ)
咀嚼しきれないのだが、なんとなくヨーロッパ人は大変だなと思う。デスコラは相対主義は採りたくない。「自らの自然の定義を他のすべての文化をはかる暗黙の物差しとする唯一の文化であるという特権的な立場から逃れる道は絶たれる」からだ。 デスコラは、「非人間の社会的な客体化を組織する精神モデルを、文化を跨いで存在する有限の組み合わせとして扱うことができる」と信じる。...
View Articleメタモルフォースを軸にした生命の循環
メタモルフォースを軸にした生命の循環の図を更新しておく。 いくらか落ち着きがよくなっただろうか。生命は「あの世」からもたらされ、「あの世」へ返っていく。
View Articleメタモルフォースした言葉の相互関係
貝(gira)のメタモルフォースから生み出された言葉相互の関係を見てみる。 貝(gira)に対して、太陽(tida)、胞衣(iya)、ジュゴン(zan)は隠喩的関係にある。また、貝(gira)に対して、岩場(pida)、干瀬(pisi)、そして、砂州(yuna)、礁池(ino:)から澪(nu:)にかけては、貝の部分をなすので換喩的関係だと言える。...
View Articleサンゴ礁の神話モデル
貝と胞衣について、ぼくたちには何に感銘を受けていると言えばいいだろう。 島人が、サンゴ礁を「貝」と見なしたとき、シャコ貝と同じものをそこに見たはずだ。しかし、「サンゴ礁は貝」と言えば、ぼくたちにはそれはメタファーに聞こえる。また、礁池は胞衣、しかも動植物がメタモルフォースを行う不思議な胞衣空間と見なした。それもぼくたちにはメタファーに聞こえる。...
View Article『言霊と他界』(川村湊)
川村湊の『言霊と他界』をガイドに「言霊」をめぐる議論を一瞥する。 「言霊信仰」はふつう、このように捉えられている。 言霊の信仰とは、我々が発する言語には精霊があって、その霊の力によってその表現の如くに事が実現すると信ずることである。「雨降る」といへば、これを言ふことによって「雨降る」といふ事実が実現すると考へる。不吉な言を発すれば、そこに不吉な事が現はれるのである。(時枝誠記『国語学史』)...
View Article「女性の霊性に関する考察 女神たちのイメージから」(藤澤佳澄.)
著者のモチーフからは離れてしまうのだが、地母神のイメ―ジを掴んでおきたい。 「大母神」「地母神」は旧石器時代から始まっている。狩猟・採集中心の社会では、その後継者として「動物の女主人」「山の(女)神」が崇拝される。 たとえば、アルテミスは「野生の獣を中心としてあらゆる生命の死と誕生、成長を司る、古い地母神の性格を持つ女神であった」。...
View Article『女神のこころ』(「創造」ハリー・オースティン イーグルハート)
宗教的なところやイデオロギーなところに躓かなければ女神のカタログのように読むことができる。 ここから、琉球弧の名もなきサンゴ礁の女神に似た面影を探してみる。 北アメリカのスパイロー遺跡から発掘された鎧の喉あてにはクモが描かれている。チェロキー族やカイオワ族の伝説では、「年老いたクモ女が太陽の国から光を運んできた」。クモは聖地の守護者である。...
View Article「柄鏡形住居に見る女神の子宮と産道の表現」(吉田敦彦)
吉田敦彦がこれを書いたのは1993年だから、考古学上の知見も更新されていると思うが、更新すべきことは追ってするとして、「柄鏡形住居に見る女神の子宮と産道の表現」から、分かることを書いておく。...
View Articleサンゴ礁期の対幻想
試論の域を出ないが、吉本隆明の「対幻想論」での議論を、琉球弧に引き寄せて読み換えてみる。 男・女神が想定されるようになると〈性〉的な幻想に、はじめて〈時間〉性が導入された。 〈対〉幻想のなかに時間の生成する流れを意識したとき、そういう意識のもとにある〈対幻想〉は、なによりも子を産む女性に所属した〈時間〉に根源を支えられていると知ったのである。...
View Article「メタフィジーク・メタモルフォーゼ・メタファー」(山田貞三)
著者が提示しているものを強引に図解すると下記のようになるだろうか。 ゲーテはメタフィジーク(形而上学)にメタモルフォーゼを対置している。言葉を豊かにふくらませて多様化するのである。ゲーテはメタモルフォーゼを植物から汲み取っているが、対象にそれだけにとどまらなかった。ゲーテにとっては、「植物の形態のみならず、動物や人間、鉱物にいたるまで森羅万象がメタモルフォーゼを遂げる存在として理解されていた」。...
View Article大地と胞衣
ぼくたちはここでようやく、大地と胞衣の両方の意味を持つ言葉に出会う。 マオリ語でウヘンナ whenna というのは、「大地」と「胎盤」の二つの意味を持っている。 たったこれだけの引用記述だが、示唆することは大きい。これは、ユナが「砂洲」と「胞衣」の両方の意味を持つのではないかと考えているぼくたちの仮説を後押ししてくれる。...
View Article「海を歩く女たち-沖縄県久高島における海浜採集活動」(熊倉文子)
久高島では、スイジガイとクモガイは、どちらもヤルーと呼ばれる。しかも、雄と雌として区別される。大きいスイジガイがヤルーの雄であり、小さいクモガイが雌である。(熊倉文子「海を歩く女たち-沖縄県久高島における海浜採集活動」) もちろんこれは色で区別されたのである。また、男貝のほうが魔除けには積極的に利用されることになったことも分かる。 変わったものでは、フタモチヘビガイがある。...
View Article蝶形骨器の終焉
約2400年前、1600年間続いた蝶形骨器の製作が終わる。少なくとも現在までの発掘からはそう言える(参照:「蝶形骨器・針突き・貝符 5」)。これは、蝶との関わりの終焉を意味していない。ジュゴンの骨で蝶を象る時代が終わったのだ。...
View Article『意識の海のものがたりへ』(谷川雁)
吉本隆明の横にその存在をずっと感じ続けてきた谷川雁の本を、格別な縁があって手に取ることができた。硬質な文体に吸い寄せられていくのが心地いい。久しぶりだ。...
View Article「境界紀行(二)日野 たましいの行方をさがして」(谷川ゆに)
カフェで同僚と仕事の打ち合わせをしていたとき、急に電話に出ると、「いやそれ以上は知らないんです。通りがかっただけなので、本人のことも知りません」と話している。 何のやりとりか想像がつかなくて、電話を終えたあとに尋ねてみたくなった。...
View Article『みみずくは黄昏に飛びたつ』(川上未映子、村上春樹)
『職業としての小説家』もそうだったが、『みみずくは黄昏に飛びたつ』もたくさんのキーワードが印象に残った。いちばんはこの個所。本当のリアリティというのは、リアリティを超えたものなんです。事実をリアルに書いただけでは、本当のリアリティにはならない。もう一段差し込みのあるリアリティにしなくちゃいけない。それがフィクションです。 ―でもそれはフィクショナルなリアリティじゃないんですよね。村上...
View Article