カフェで同僚と仕事の打ち合わせをしていたとき、急に電話に出ると、「いやそれ以上は知らないんです。通りがかっただけなので、本人のことも知りません」と話している。
何のやりとりか想像がつかなくて、電話を終えたあとに尋ねてみたくなった。
「いや、このカフェの角を曲がったところに駐車場があるじゃないですか。そこで、おじさんが倒れていたんですよ。大通りだから人はたくさんいるんだけど、みんなまわりを囲むようにして見ているだけだから、かけよったら意識があったので、その場で救急車を呼んだんです。で、ここに遅刻したくなかったので、駐車場の警備員さんに後を頼んできたんですけど、救急車を呼ぶときに電話番号を伝えたから、それでかかったきたんです」。
いいことしたね、伝えると、彼は「たまに、そういうことに出くわしてしまうんですよ。それもあってか、今日もすぐに身体が動きました」と、こともなげに話してくれた。
助ける行動を起こした彼と、すぐに救急に委ねられることになったおじさんは知己でもなければ役割関係があるわけでもない。たまたま通りかかったというきっかけがあるだけだ。けれど、これを偶然と言って済ますよりは、小さな縁を言ってみたくなる。とくにそんな場面に出くわすというのであれば。
困った人がいれば、助けるべき人が助けるということの他に、助けられる人が助けていい。費用が発生すれば、払うべき人が払うということの他にも、払える人が払っていい。それでいいじゃないか。そこで、契約とか役割とか言う必要ない。そんな風に思う心持ちに、谷川ゆにの「境界紀行(二)日野」が響いてくる。
もっとも谷川は、小さな縁どころか、もっと積極的に、「生まれ変わり」という縁を見出している。もちろん、唐突にそうしているわけではない。前世で家族だったという縁で、年齢もばらばらなのに束の間、たがいを気遣う家族のような関係を結ぶ人たちを描いた映画『トテチータ・チキチータ』(参照:「映画『トテチータ・チキチータ』-頬を撫でる霧雨」)、19世紀に実際にあった生まれ変わりをめぐるエピソード(生まれ変わりを名乗った勝五郎を、国学者の平田篤胤も追っている)を手がかりに引き寄せている。谷川は書いている。
いま現在に生きている自分と、かつて生きていた自分ならぬ自分。「生まれ変わり」が孕んでいるこの不思議な二重性には、近代以降、私たちが身につけてきた、唯一無二の「個人」とか、揺るぎない「主体」や「自己」といった人間認識を、やんわりと手放させる力があるのではないだろうか。と同時にそのことが、私たちが他者と繋がって生きるための新たな世界像をゆっくりとひらいてくれるのではないだろうか。
「生まれ変わり」にまで踏み込まれた縁を梃に、谷川はぼくたちがともすれば囚われる窮屈さを解放しようとしている。個人や主体を放棄するというのではない。「生まれ変わり」が、それを「やんわりと手放させる」のだ。そしてただ手放すだけではない。そのことは、新しい関係を「ゆっくりとひらいてくれる」のではないか。開いて結んで。この手つきは優しい。
それに「生まれ変わり」を荒唐無稽と言って済ますわけにはいかない。柳田国男が日本人の思想としてずっと追ったのも「生まれ変わり」だった。また、民族誌をひも解けば、人類はたしかに「生まれ変わり」を生きた段階を持っている。それがしっかり息づいている種族であれば、同じ母系の霊の流れを汲む者として「同じ肉体」を感じたのだし、やや崩れたところでも、死者は兄弟に宿るとか、孫の成長を助けるなどと信じられていた。こう書けば分かるように、死者の記憶と言っては物足りない、死者との対話や助けを得て、いまの自分も生きているといえば、思い当たる節も出てくる。
そのうえで、谷川の、そこに「他者と繋がって生きるための新たな世界像」の可能性を見るという視線の向け方が、ぼくには魅力的だった。
これは新潮社が発行している「波」という雑誌に掲載されている(「波 2017年5月号」)。ぼくは池袋東武百貨店の旭屋書店で買った。