折口信夫の「民族史観における他界観念」から。
他界の用語をあまり自由に使いたくない。そうしないと、古代におけるこの観念が非常にひろがってしまう恐れがある(p.309)。
他界なるが故に、遠く遥かに海の彼岸にあり、他界なるが故に、時間の長さが、この世界と著しく違い、極めて信ずべき他界なるが故に、実在性が強くなっている。
未完成の霊魂。霊化しても、移動することができない地物、それに近いものになっているために、将来他界身になることを約束された人間を憎み、妨げる。
常人の死と、生存時すでに神の境まで乗りだしていた人の死を同一視するのは誤り。そういう人の死に対しては、ほとんど同時に、他界の生活がはじまっているものと見ていたに違いない(p.316)。
これは、アボリジニで高度なイニシエーションを経た賢者が死を生きることができるとされているのと似ている。というか、ほとんど同じなのではないだろうか。
異郷・他界の訪問者の信仰が、無終とは言へぬか知らぬが、ほとんど無始の過去世から続けて来た風である。
来訪神の起源を、折口はやはり「無始の過去世」という深度に見ている。
悪霊、悪霊の動揺によって著しく邪悪の偏向を示すものを「もの」と言った。その「もの」の持つ内容が「たま」という語のなかに入ってきた。混交に気づいて、区別するため、悪質で人格的な方面を発揮するものを、「霊(りょう)」、「霊気(りょうけ)」と言うことが多くなった。
若衆が鍛錬を受けることは、他界に入るべき未成霊が、浄め鍛へあげられることに当る。そのゆえこれは、宗教行事であると共に、芸能演技である。拝むことが踊ることで、舞踏の昂奮が、この拝まれる者と拝むものとの二つを一致させるのである。
これが年齢階梯的な男性の秘密結社のもともとの意味にもつながる。未完成の青年の鍛錬を経て踊り、未完成の霊魂と一体となることで、未完成の霊魂を完成させる行為につながっていた。
霊魂の完成者は、人間界では「おとな」に当る。人はそういう階梯を経て、他界における「おきな」として往生する(p.325)。
ということは、カジマヤーは、「おとな」から「おきな」への移行儀礼と見ることもできる。
霊魂の完成は、年齢の充実と、完全な形の死とが備らなければならぬ(p.327)。
他種族の人々の通路は、必ずしも明らかに村人の賑い住む方向には考えなかった。我々と同じように生活しているものが来るのでない。来るは来ても、霊的な交通者だと-古人は異郷の人を他界人として考えたのである。
他界人は死者だけではない。異種族の人もそう考えられた。だから、新しい技術を持って到来した人々は他界人であり、神となる可能性があった。
私の述べている古代のその前代の方が、その古代よりも、もっと更に時の隔たりがあるような気がする(p.334)
折口の視線は、古代以前に伸びようとしていたのだ。
来訪神のあった時、この神の威力を表現し、それによって、村落全体の生活が力強い威力に感染することができるようにするのは、そうした訓練や、表現が充分に保たれていなければならないはずだ。来訪神をとり囲んで、眷屬(けんぞく-一族の意-引用者)の形をもって、荒(すさ)まじい行動を振わねばならぬ(p.336)。
だからこの役を勤めた上は、この土において、成人待遇を受けるのである。彼らの尊者が来迎する時、他界の事情はここに映し出され、この世と他界とを一つ現象として動いているものと実感するまでにせなければならなかった(p.337)。
来訪神儀礼は、現世と他界をひとつにするために行われる。
琉球弧の鍛錬の中身は、アボリジニやアイヌのような臨死体験に臨む要素が希薄な気がするが、それはアボリジニやアイヌが他界を生きることを主眼に置いたのに対して、琉球弧の場合、現世と他界をつなぐことに主眼を置いてきた違いかもしれない。前者は、他界を見る、体感することが重要であり、後者においては他界を現出させることが重要になる。
琉球弧において天然痘を「美ら瘡」と呼ぶこと。流行病の神もまた、常に他界から来るものと思っているためにする作法。神を褒めるとともに、災い浅く退散してくれることを祈る。古代日本以来、他界の訪問客に示す態度は、いつもこうした重複した心理に基づいていた(p.338)。 海の彼岸より遠来するものは、必ず善美なるものとして受け入れる。
天然痘と新しい技術を持って到来したアマミキヨを同じと見なす視線。