与論島のことをひと言で表現するとしたら、与論民俗村の菊秀史さんが主張するように、「とーとぅがなし(尊加那志)」の島と言うのがいちばん相応しい気がする。日常的な感謝の言葉に「とーとぅがなし」を使っている島は、琉球弧の他島にはないからだ。
しかし、「とーとぅがなし(尊加那志)」という言葉自体がないわけではない。それは、琉球弧の島々の、神への祝詞のなかに、しばしば使われている。けれど、祝詞のなかでは感謝の言葉ではなく、尊いお方、つまり神様そのものを指している。だから、島の個性でいえば、「とーとぅがなし(尊加那志)」それ自体ではなく、神様の呼称そのものが、神への感謝も同時に表すところから、それを日常的な感謝の言葉に使うところに与論らしさはあると言っていいい。
聖なる言葉のなかで、その最たる聖なる存在そのものの呼称を、最も日常的な言葉のひとつ、感謝の「ありがとう」に転換する、この肩の力の抜けた、リラックスさ加減が与論らしい。そういう意味でも、「とーとぅがなし(尊加那志)」の島は与論島を言い表すのにもってこいだ。
けれども、聖なる言葉を感謝の言葉にしているのは、与論だけではなく、琉球弧に共通している。
それぞれが「全く違う」ことが強調されがちな「ありがとう」の言葉たちだが、その意味を示す漢字一文字を軸にすれば、これらは五つに類型化してみることができる。
「拝」系 沖永良部島(ミフェディロ)、沖縄島(ニフェーデービル)、八重山(ミ(ニ)-ファイユー)
「尊」系 与論島(トートゥガナシ)
「誇」系 喜界島(ウフクンデール)、与那国島(フガラッサ)、徳之島(オボラダレン)、奄美大島(オボコリダリョン)
「頼」系 宮古島(タンディガタディ)
「孵」系 宮古島(スィディガフー)
これらの感謝の言葉をもともとの意味から捉えようとすると、沖縄島のニフェーデービルを始めとした「拝」系は、祈願の所作、与論島の「トートゥガナシ」の「尊」系は、神そのもの、喜界島のウフクンデールなどの「誇」系は、神や、按司、王などの統治者への畏敬、宮古島の「タンディガタンディ」は、神や、按司、王などの統治者への依存、同じく宮古島のスィディガフーの「孵」系は、祈願からもたらされる豊穣や喜悦であると考えられる(cf.「琉球弧の「ありがとう」は、「拝」、「誇」、「尊」、「頼」!?」、「スィディガフウ(孵で果報)は、予祝的な「ありがとう」)。どれも聖なる言葉の周辺にあるもので、神との関係と、それが現世化されて統治者との関係のなかから生まれ出ている。
また、これらは、大和言葉の漢字を根拠にしながら、もともとの意味通りに添うのではなく、むしろそれを踏み台にして、美称、尊称化した琉球語感覚にあふれている。ただし、宮古島のスィディガフー(孵で果報)の「スィディ、スデ」だけは、もともとの琉球語に「孵で」に漢字を当てたものではないだろうか。「果報」は新しく流入した大和言葉であったとしても。
琉球弧の感謝、「ありがとう」は、共通語化されることはなく、神や統治者への関係のなかで、相手を尊重する気持ちを軸に、そのことを示す言葉たちをそれぞれの島が、感謝の意味として形成していった軌跡が、正直に残っている。それは言葉の意義に添うのではなく、多様に展開していった琉球語感覚の見事なサンプルにもなっていれば、琉球弧の多様性の象徴的なサンプルにもなっている。
それぞれの島が、与論の「とーとぅがなし(尊加那志)」の島のように、自分の島を表すことができるほどに、それは豊かなのではないだろうか。