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Channel: 与論島クオリア
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昔、沖縄の人が酒徳利を売っていた

  島の南の浜辺を菊千代の『与論方言辞典』で辿ると、エピソードが添えてあって面白い。特に、沖縄の人の酒売りが。 沖縄の人は、もうひと稼ぎを狙ったものか、生活に窮して与論まで来たのか、また島のなかではこっそりやっていたのか、堂々と売っていたのか、分からない。でも、言われてみれば自然な交流だけれど、言われなければ想像にいたらない、貴重な証言だ。島々は思っている以上につながっていたのだと思う。...

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与論城を築城したのは誰か

 ぼくたちは、花城(はなぐすく)真三郎の事績に、その父、又吉大主を取り込み、尚真の子にすり替えた「龍野家系図」を、虚実なじまぜに編集されたものとして読むという構えを持たざるをえない場所にいる。 「龍野家系図」は、与論城の築城も花城真三郎によるものだとして書いている。読みにくいので現代語訳を試みて引用する。...

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「花城真三郎は、石嶺の屋敷におられたであろう」

 ほんとは花城逸話で関心をそそられるのは、与論城のことではなく、渡島のいきさつだ。「基家家系図」の渡島譚の末尾近くは次のように書かれている。則與名原浦江奥□船居合其夜中ニ漕出渡嶋伯母石嶺大阿武所ニ居ラレ候ヤウニト御親父又吉大主ヨリ仰附ラレル。(小園公雄「奄美諸島・與論島近世社会の一考察(系図と史料)」『鹿大史学』1988年36号)...

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タンディの元

 与論で、タンディは、謝罪の「ごめんなさい」の意味になる。けれどそれだけではなく、与論茶花では、別れの「さようなら」の意味になる。まだあって、依頼を強調する時に、「タンディドーカ」と「タンディ」を添えることもあり、「どうぞ」のような意味になる。 しかも、タンディは、宮古島では、感謝の「ありがとう」の意味になり、タンディガタンディと強調される。タンディは広がりのある言葉だ。...

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琉球弧の「ありがとう」は、「拝」、「誇」、「尊」、「頼」!?

 琉球弧の「ありがとう」表現は多彩だ。 島名は煩雑なので、省略してマップにしてみる。各島々、発音の微妙な違いや別の言い方がきっとあるのだが、そこまで及ばないのはご容赦ください。教えてもらえると嬉しい。 これらはよく「全く違っている」と言われるけれど、神への儀礼の場面を元にしているとみれば、捉えやすい。これも仮説のひとつに過ぎないが、それらは漢字一文字を軸に表すことができる。 「拝」...

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1805年の抵抗

 時は1805年5月。与論島の島役人に、代官所から砂糖黍作の誘いがかかる。これを受けて、島役人は、願い下げとして断りの口上書を認める。以下に挙げるのは、その口上書の私訳だ。 恐れながら口上書をもって訴え奉る候...

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日本昔ばなし風「砂糖黍作を断った話」

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琉球弧の「ありがとう」地図

 ありがたいことに、琉球松さんから、宮古島のありがとう、「スィディガフウ」を教えてもらった。考察は追ってするとして、地図に加えておく。それにしても、多彩だ。この多彩さは、琉球弧のある豊かさを示していると思う。

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スィディガフウ(孵で果報)は、予祝的な「ありがとう」

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「アイランダー2013」歩き

 ここ数年、行けてなかった「アイランダー2013」に足を運ぶ。初日となる昨日、とても賑わっていた。 しかし、わが与論島は奄美ブースのなかでポスターのみ。さみしいけれど、台風被害の後、仕方ないと諦める。来年に期待したい。あ、でも、担当者が一人いて、島案内とは別に募金箱を担当したらよかったのではないだろうか。...

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与論史の時代区分

 11月22日、『境界性の人類学―重層する沖永良部島民のアイデンティティ』を書いた高橋孝代さんの講演が法政大学で行われた。問題意識の起点がとても似ているので、聞きに行った次第だ。以前、論文を読んだ時は、アイデンティティの在り方について、与論との類似に目を奪われたが、今回は、むしろ違いが特に印象に残った。それは歴史の歩み方のことだ。...

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「とーとぅがなし」の島から琉球弧の「ありがとう」へ

 与論島のことをひと言で表現するとしたら、与論民俗村の菊秀史さんが主張するように、「とーとぅがなし(尊加那志)」の島と言うのがいちばん相応しい気がする。日常的な感謝の言葉に「とーとぅがなし」を使っている島は、琉球弧の他島にはないからだ。...

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琉球弧の「ありがとう」分布

 琉球松さんの示唆を助けに、琉球弧の「ありがとう」分布をみると、確かに方言周圏論で説明できる部分がある気がしてくる。 琉球弧の北と西に、「誇」系が分布し、その内側に「拝」系が分布している。そして、その中間域に、「尊」、「頼」、「孵」が来るが、中間域に位置する語は、他には分布していない。 「誇」系...

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沖縄の「神拝み」と与論シニグの神路

 『琉球王国がわかる!』の図解入りの説明をみて、やっとピンと来たのは、沖縄の「神拝み」と、与論シニグの神路歩きは同型だということだ。 「今帰仁上り(なきじんぬぶい)」と「東御廻り(あがりうまーい)」を例に採ったコラムはこう書かれる。 沖縄には、親族集団の門中ごとに、祖先の故地である御嶽や城跡、墓、湧水(泉)などの聖地旧跡を巡拝する神拝みという行事がある。(p.80)...

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信仰集団としてのプカナ

 プカナ・サークラを、アマミク(キヨ)あるいは、それに深く関与した集団と見なしている者にとって、気になる記述。プカナ  麦屋西区小字タバタ(田畑)にある俗称地名。プカナマグディが生まれた地。(中略)プカンナともいう。プカナのプカは拝むの意がある。(昔この地周辺から人骨が出た)。(p.490)(菊千代『与論方言辞典』)...

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国頭との恋人つながり

 与論には実話と民話が二重写しになった話がたくさんある。英雄時代のふたり、ウプドーナタ(大道那太)とサービマートゥイもそうだ。...

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平安座島つながりの切ない昔話

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アンジニチェーの時代

 与論の按司時代と英雄時代を象徴するのは、アンジニチェー(アージニッチェー、アージンチェー)であり、島で最も名高い伝説上の人物と言っていい。...

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安田とのシニグつながり

 安田シニグと与論シニグが共通しているのは、仮面仮装の来訪神儀礼という点で、これは両島のみでなく、シニグ全体に通じるものだ。...

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「瀧家文書」解説への注記 1

 『与論島の古文書を読む』から、「瀧家文書」について、先田光演が加えた解説に注記する。 1.表題と作成年 瀧家文書の表紙は欠落。35pに、「天保七丙申 八月 萬集 持榮」とある。「よろずあつめ」。 天保四年から八年にかけて記録したものと思われる。(1833~1836年) 2.藩役人の派遣 1691年。沖永良部島、代官設置。代官1名、附役3名。...

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