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Channel: 与論島クオリア
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プカナの盛衰

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 野口才蔵の『南島与論島の文化』のなかで、「シージタル」の意味が分からなかったのだが、お袋や菊千代さんに頼って、やっと分かった。

 なお古昔は、大資産家であったようだ。そして現在のサークラの所には、貢納米を納める倉があったという。それで次のようなことばが残っている。「プカナトゥ・パマタイヌ・シークジリタクトゥ・ヰンジョー・シージタル。」また、プカナは、プカナ・マチャンというマチャン(魚のよく通る、いわば魚の道)を所有していたとのこと。その昔は、パマタイなども大峰山を所有しその東に広い土地を持っていた。また、プカナも東方に広く所有していたといわれる。それを補強するように、龍野系譜を見ると、当間の祖先に「外皆養子」との記事がある。プカナの竹菊政氏の言によれば、氏の家には昔から男が二人生れたことがないそうである。それでその男が早死にすると養子をとらねばならなくなる。氏によると、当間(東家)から二回も養子をもらったと話された。当間から二回も養子をもらうくらいだからその繁昌の程がうかがえる。なお、屋敷の南西端にはプカナダークラのシニュグ神の依石がある。(p.73『南島与論島の文化』)
シージュン
(シージランヌ、シージティ)< し出る。働き出して進歩する。最初貧乏だったり、または仕事に失敗した者が発展する。(菊千代『与論方言辞典』

 プカナとパマタイがしくじってしまったので、ヰンジャは発展した。しくじったとは何のことだろう。また、発展、ことをなした、とは。片方の失敗がもう片方の成功につながることとは。それは土地所有や政治に関わることを思わせる。そのことが、「貢納米を納める倉」に影響を与えた、というような。けれど、口にするのははばかれるとでも言うように、ことは暗示にとどめられている。ともかく、野口は、哀惜を込めてプカナの盛衰を語っているわけだ。

 プカナ・サークラを、アマミキヨ、あるいはそれに深く関わった集団だと見なす者にとっては、「貢納米を納める倉」があったということが重要な点になる。ぼくの見立てでは、与論に稲作技術を持ち込んだのは、プカナということになるからだ。彼らがかつて資産家であったことは、その傍証になるのではないだろうか。



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