内藤正典の『イスラム戦争』は、ぼくたちのイスラムに対する誤解を解き、蒙をひらくと同時に、「米国が同盟国と共に過去数十年の間、大勢のムスリムを敵に回した挙句に何の成果も得られなかった」のに、「集団的自衛権」の行使によって、日本がその戦列に加わってしまうこのを、「越えてはならない一線」として説いている状況の書でもある。
内藤の世界認識の力点は以下にある。
日本の憲法はアメリカの押しつけたものだから自主憲法を制定しんかえればならない。こういう主張は現政権をはじめ国内にかなりの力を持っています。軍を持てず、軍事力の行使もできないのでは「普通の国」ではないということです。しかし、日本で集団的自衛権の行使が議論され、海外への派兵の条件を緩和しようとしているさなか、世界の方が変わってしまったことに注意を向けなければなりません。日本が憲法にしばられて、自衛隊の海外派兵を躊躇している間に、軍事力の行使ではおよそ問題が解決しない方向に変わっていたのです。特に、イスラム世界で起きている現在の混乱において、軍事力の行使は、紛争解決に貢献しません。国家対国家の戦争ではなくなったからです。米国と有志連合は国家の連合。対するイスラム世界をはじめとするイスラム武装勢力は、国家ではありません。すでに書いたとおり、アメリカが言い出した「テロとの戦争」は、国家対テロ組織の戦いですから、完全に「非対称戦争」だったのです。
非対称ということは、国家の対する相手がいないということであり、どこで戦闘が起きるか、分からないことを意味している。「集団的自衛権」の行使を可能にして、日本は一人前の「領域国民国家」になれたかのように、思うかもしれないが、世界の紛争はそれでは解決できないという限界に到達している。「そのことに、私たちは一刻も早く気づけねばなりません」。
内藤は、昨日、ツイッターでもこう発言している。
日本の政治家は、全くと言って良いほど世界に眼が開かれていない。世界は日本とアメリカと中国と北朝鮮で出来ているわけではない。安保法制はこの4国にしか目を向けていない。
同日の報道で、ロシアのラブロフ外相は、「大事な問題なので私もひと言、言いたい。開かれていない軍事同盟は地域の緊張緩和には役立たない」と、岸田外務大臣の真横で言ってのけた。外相の一撃が、内藤の言葉と響きあって聞こえてくる。