川満信一の『沖縄・自立と共生の思想―「未来の縄文」へ架ける橋―』(1987年)から、表題の講演と独立論に関する文章を読んだ。
個別の中身は、よく分からないところもあるけれど、川満の視点はよく共感できるという印象だった。
「共生」とは、
ミクロ的には生物心理学的な深層まで視野をおろし、マクロ的には地球または宇宙まで視野を広げ、相互扶助に行為の価値基準を設定すること、それによって歴史的に歪みを拡大してきた自己の人間性の根源的な変革を進める。
最近、相互扶助には、他人とのそれもあるけれど、自分の内臓、たとえば腸やそこにいる細菌との相互扶助もあるんだなと思っている。その観点からいえば、川満の言い回しの宗教的なまといを払って受け取ることができる。「相互扶助」の他には、自由と平等を付け加えたい。
独立論が起こる背景にはふたつある。ひとつは、
すでに独自の神話や社稷をもっている地域の小共同体が、他の同様の小共同体との間に、民族形成のアイデンティティーを持つ必要に迫られたときである。
これが面白いのは、「神話や伝説も国づくり、つまり独立論の系譜に入るとみなければならない」という視点を導くところだ。けれど、言ってみれば、島は世界であり宇宙ということからすれば、すでに独立していたとも言えるし、神話や伝説をみれば、独立の志向はそもそも持っていないと言える。
ふたつ目の背景は、
かつて一定規模の民族を統一し、国家を形成していたのに、なんらかの理由で国家の主権を失い、または他国ないしは他民族から制圧されて、その支配下に従属させられている状態である。
ここで川満は、「くさて(腰当て)」という言葉を使う。依存のことだと思えばいい。
わが痛苦の「くさて独立論」は、国際情勢の変化であっけなく肩すかしを喰い、よろめきながら幕を下ろす破目になった。
どうしてそうなるのか。
これまでの独立論が“くさて”発想を脱し得なかった歴史的根拠は、アジア的な制度の典型である中国と琉球の付庸関係に淵源するのではないか(後略)。
これはそうではなく、もっと古い淵源を持つ。母なる珊瑚礁の純粋贈与という自然との関係が培ったのが、「くさて」だ。だから、中国との付庸関係にしても、その現われと言えるものだ。
そこを掘り出すことは、「いまだ敗北を知らなかった琉球民衆の原意識を蘇生させること」に他ならない。
「ミクロのシマ宇宙へ、琉球弧の人々の原意識が解放されたときに、独立論ははじめて現実化してくるのだ(後略)」というのは、その通りだと思う。
近代国家のミニサイズを琉球でつくるだけのことに、どうして思想的にも、生活闘争のうえでも情熱がかけられよう。
これも、いいアジテーションだ。