山下欣一は、「奄美のシマと神女」で、大熊で行われたノロの神祭りでのノロの装束を書いている(『海と列島文化 第6巻』(1992))。それは島田貞彦が「蝶形骨器」を発見してから四年後の1936(昭和11)年のことだった。
ノロたちは、着物の上にサロシ(白衣)を羽織り、頭にサジ(長い白布)を巻き、その上にツルマキカズラ(台湾カニクサ)を「カブリ」にかぶっていた。そして、頭の後部にサジ(サシクサ)と呼ぶ鳥の羽を束にし、それに三角の布を結びつけたものを挿し、親ノロだけが玉を佩いていた。参会したノロのうち二人は、「カブリ」をせずに「サジ」を巻き、わずかにツルマキカズラを挿していた。この二人は、まだノロになる式をあげていなかったため、このような装いをしていたのである。
ぼくたちは祝女の装束で、気になる「三角の布」について、もう少し近づくことができる。
上記の記述で書かれていない祝女の髪飾りのひとつに、ザバネがある。それは白鷺の羽根でできたものだが、下野敏見によれば、ザバネは「風羽根」をもとにしているが、それは伊波普猷が、航海の呪符として鷲の羽根を神女たちの神に挿していたのは「かざなおり」と呼ばれるが、それは「風直り」のことで、それが奄美大島では「ザバネ」と呼ばれるようになったという考えを受けたものだ。
祝女は、ハベラザバネとして挿す。ハベラザバネは、ザバネに色とりどりのハベラ(蝶)に似た三角布を付けたものだ。宇検村屋鈍では、アヤハベラ(綾蝶)といい、赤、黄、褐、白などの色の三角布(底辺九・五センチ、高さ四・七センチ)が七個ずつ三連ついている。加計呂麻島阿多地のものは、七個の三角布が二連ついていて、kれをナナハベラと呼んだ。
もうひとつ、重要なものがある。それはイチャ玉と呼ばれるものだ。沖永良部島で実見されたイチャ玉は、ガラス玉を51個連ね曲玉(まがたま)がついた首飾りと、首飾りの後ろ首の箇所で長さ61.5センチのゆるやかに末広がりの台形の織物がつながっている。その織物には、確か七つの三角布がつけられている。その色、赤、白、黒、緑、黄など。この織物と三角布は玉ハベラと呼ばれる。
蝶は祝女の持ち物にも現われる。神扇だ。祝女は神事のときは両手で前に捧げ持ち、祝女と周辺の人・物とを隔てて垣をつくる用に使う。神扇には表に太陽、裏に月が描かれる。裏側には、白い満月(月論)のほかに、瑞雲、牡丹の花、蝶、岩塊がある。
上着の下に着る筒袖短衣の胴衣は、奄美ではハベラ胴衣と呼ばれる。胴の前後には三角紋様が一面に連ねてある。
一 吾がおなり御神の
守らてゝ おわちやむ
やれ ゑけ
又 弟おなり御神の
又 綾蝶 成りよわちへ
又 奇せ蝶 成りよわちへ
一 あかおなりみかみの
まふらてゝ おわちやむ
やれ ゑけ
又 おとおなりみかみの
又 あやはへる なりよわちへ
又 くせはへる なりよわちへ
岩波文庫の注によれば、「我々のおなり御神が、守ろうといってこられたのだ。やれ、ゑけ。おなり御神が、美しい蝶、あやしい蝶に成り給いて、守ろうといって来られたのだ」。
「奄美では一般に蝶は人の霊、つまり先祖霊を運ぶという」(下野敏見)。