天の階層化と地下の対置
天界を信仰する場合、単純埋葬によるものが原型だが、それ以外の類型がみつかる。それは、天が階層化している場合で、かつその場合は、葬法は伸展位の乾燥葬になるのだ。(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。 典型的なのは、ポリネシアだが、この場合、地下他界が対置されて、社会階級によって天と地下の行く先は区別されている。 棚瀬は、北方の諸民族についても考察を加えている。...
View Article『エクスタシーの人類学―憑依とシャーマニズム』
ミルチア・エリアーデの『シャーマニズム 古代的エクスタシーの技術』の20年後、この本の対になるように出されたのがI.M.ルイスの『エクスタシーの人類学―憑依とシャーマニズム』だ。エリアーデが、「脱魂」にシャーマニズムの本質を求めたとすれば、ルイスは「憑依」にそれを求めている。 例によって、ぼくたちの関心に引き寄せて通過する。...
View Article「シャーマニズムと狂気」(森山公夫) 1
吉本隆明は「憑人論」のなかで、柳田國男の入眠幻覚にあいやすい資質について触れている。 絵本をあてがわれて寝ながら読んでいるうちに、神戸にお母さんがいるという考想がとりつかれ、いつの間にか実在しない神戸の叔母のところへゆくつもりで家をとびだしていたという挿話。 もうひとつ。...
View Article「シャーマニズムと狂気」(森山公夫) 2
もうひとつ森山は興味深いことを書いている。シャーマンのイニシエーション(入巫礼)は、通過儀礼としての成人式(加入礼)の手本になっている。エリアーデが挙げたその特徴は以下の五点。 1.家族からの隔離と森林地でのひきこもりの生活。 2.イニシエーションの小屋。これは母親の腹を意味する。 3.死のシンボリズムに関する儀礼。拷問。 4.特殊な手術。割礼や下部切開。新たな名前をつけられる。第二の誕生。...
View Article沖永良部島の呪詞「アカトゥキヌタチラ」
沖永良部島の先田光演は、知名町屋子母のユタから多くの呪詞を採集している。このユタの家系は沖縄渡来のノロ神であり、巫病を経ずに先祖伝来でユタを継承してきたという特異な点を持つ。採集された呪詞のひとつである「アカトゥキヌタチラ」は、瀕死の重病人を前に、ユタが唱えるものだ。...
View Article『日本語に探る古代信仰』
『日本語に探る古代信仰』(土橋寛)は、「霊魂(タマ)」といえば遊離魂とばかり理解して、マナという語に代表される霊力・呪力の観念に対する理解がないことへの批判の書だった。...
View Article『シャーマニズムの精神人類学』
ロジャー・N・ ウォルシュ(『「シャーマニズムの精神人類学」―癒しと超越のテクノロジー』)によるシャーマニズムの定義。 シャーマニズムとは、実践者が自らの意志で編成意識状態に入り、その状態において、自らもしくは自らの霊魂が自在に異界を旅し、別の存在と交流を交わすことで共同体に奉仕することに焦点を合わせた伝統の一系譜である。...
View Articleユタの職能
喜界島、奄美大島、徳之島のオモイマツガネ系の呪詞を唱えるユタの神は、「天ザシシ」の神、沖永良部島のシマダテシンゴ系の呪詞を唱えるユタの神は「天の庭のウヤナダガナシ」。どちらも太陽神。「天ザシシ」とは太陽がさすという意味。 琉球弧における高神の物象化のはじまり太陽神であったのかもしれない。...
View Article『宗教生活の原初形態〈上〉』
夢だけでは霊魂観念を説明できない。死による霊魂の精霊化も説明できない。精霊崇拝が自然崇拝につながるわけではない。従って、アニミズムは根本的ではない。 原始人は自然を前に卑小さを感じていない。むしろ、自然を動かしうると考えている。また、偉大にみえる太陽、月、海、風などが神格化されたのは後のことであり、最初に礼拝が向けられたのは「つまらぬ野菜や動物」だった。したがってナチュリズムも根本的ではない。...
View Article『宗教生活の原初形態〈下〉』
デュルケムは、トーテミズムを起点に霊魂概念を抽出している。霊魂は、無限に稀薄で鋭敏な物質で作られているもの、エーテル化され、影や息にも較べられるあるもの、として表象されている。(中略)霊魂が息のうちにあるのではない。霊魂は息である(p.12~13)。...
View Articleアルンタ族
中部オーストラリアのアルンタ族のことは、棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』のなかでも触れられていた。 他界観念 死者の霊魂は、岩など一か所に集まり、狙った女の中に入り、子供に再生する。その岩はアリススプリングスの近くにある(P.54、by スペンサー&ジレン)。...
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