『アメリカの世紀は終わらない』(ジョセフ・ナイ)
書名に『アメリカの世紀は終わらない』とあるけれど、原題は、"Is the American century over?"なので、邦題は著者のジョセフ・ナイの結論でもあると知るまでは、日本的希望のように思えていい気がしなかった。...
View Article『なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか』
中国国家がいかに中華思想に囚われているか、それを「切ない宿命」とまで言って説いている本。一点の迷いも留保もなく、ぐいぐい押してくる。 「中華に恭順する朝鮮、反抗するベトナム」という来歴がよく分かったし、それは現在にも当てはまることにも驚かされた。歴史は終わったわけではなく、歴史のなかにぼくたちも立たされているのを知らされる。...
View Article清祓行為の内実
吉本隆明は、『古事記』をもとに、清祓(きよはらい)について考察している。 もちろん清祓行為が、〈法〉的な意味をもつためには、それ自身に〈制裁〉的な要素がなければならない。 清祓行為はつぎのいくつかの要素からできていることがわかる。 (1)〈醜悪な穢れ〉に感染(接触)したものを身体から脱ぎ捨てる。 (2)水浴などで身体から〈醜悪な穢れ〉そのものを洗い落とす。 (3)〈醜悪な穢れ〉の禍いを祓う。...
View Article琉球弧、貝塚時代の編年
時代区分が、参照なしには思い出せないので、伊藤慎二の編年に従った表をあげておこう。ここに、生業の変化とオーストロネシア族の北上の研究も重ねておく。与論島の歴史は、確認されている限りでは、貝塚時代前5期あたりから始まる。琉球弧全体でみれば、定着期に入って以降だということになる。
View Article『沖縄の民衆意識』(大田昌秀)
大田昌秀の『沖縄の民衆意識』を読んだ。分厚くて最初たじろいたが、ジャーナリストの筆致で読みやすかった。ただ、書名に「民衆意識」とあるが、主に「琉球新報」、「沖縄新聞」、「沖縄毎日新聞」の動向や記事に拠るところが大きく、そこから推し量る「民衆意識」は、掘り下げるべき余地を残していると感じた。むしろ、大田が浮かび上がらせているのは「知識人の意識」だと思える。...
View Article『沖縄の戦後思想を考える』(鹿野政直)
鹿野政直は、沖縄の戦後思想をテーマに一冊をものにしている。とはいえ、鹿野の主張は控えめで、さまざま思想の担い手たちの紹介に留めているので、この書を思想の概観を捉えるガイドブックとして読むことができる。 テキストのように、ここからさまざまなテーマに斬りこんでいけるはずだが、まずは、「復帰運動観」を一瞥してみる。 鹿野は、その思想的な意味を「自己決定の追求」としている。...
View Article時間の起点としての「穴」と「頭蓋骨」
生と死が、移行のなかで「区別」の段階に入ったとき、境界に洞窟が設定され、「この世」と「あの世」は空間的に区別されるようになる。このとき、洞窟の「穴」は、トーテムや人間が出現したはじまりの場所になる。それと同時に、はじまりの時を意味することになる。それは、一方向に進む時間認識の展開でもあった。...
View Article『首狩の宗教民族学』(山田仁史)
山田仁史は、「首狩」の習俗について、「少なくとも首狩を初期農耕民の世界像に帰属させることには賛成してよいだろう」としている。そして、初期農耕が女性たちによっては始められたと考えられることから、こう書いている。...
View Article『オキネシア文化論』
琉球弧の精神史の古層を探る過程で、南太平洋の島々との近さに気づいたのだけれど、そうした視点が琉球弧内から発信されていないか、探して見つけたのが三木健の『オキネシア文化論』だ。 三木は書いている。...
View Article野生の心と精神
この探究の過程でやっと分かったことのひとつは、「霊力」は野生の心であり、「霊魂」は野生の精神であるということ。この場合、心と精神をそのように分けてみているということでもある。 そして現在、野生の心と精神は、「霊性」と呼ばれたりしている。 もうひとつ。レヴィ=ストロースの言う「野生の思考」は、ぼくの言葉に置き換えれば、「霊力思考」と「霊魂思考」の織物ということになる。 (霊力)=(野生の心)...
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